高血圧とアディポネクチン
平成19年1月13日、第20回西川光夫賞が市立泉佐野病院の大橋浩二君に授与された。今回の受賞は高血圧とアディポネクチンとの関連を明らかにしたものである。肥満高血圧モデルのマウスにアディポネクチンを補充すると高血圧は有意に改善すること、このアディポネクチンの降圧作用はインスリン抵抗性を介さないことを示した。
故西川光夫大阪大学第2内科教授は東京大学第3内科から新潟大学第1内科を経て大阪大学に来られた。
西川先生はCTスキャンのない時代、ハンマー一つで神経疾患や脳梗塞の部位を診断されるテクニカルな面で評価されがちだが、飢餓や栄養不良が問題になっている時代、1963年に大阪大学で肥満外来(初代石川勝憲先生)を開設されるという先見の明があった。この小さな種が、メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)の概念が日本で確立され、花開いたことに結びついたのではないかと思う。
西川先生は優れた臨床家であるとともに教育者でもあった。どんなに安定している患者さんでも、重症患者と分け隔てすることなく、同じ時間を費やして回診された。
西川先生は最後の回診の後、詰め所で小さなテーブルを囲んで、軍医時代のこと、戦場では弾の飛び交う最前線でも外科疾患より内科疾患が多いことなど話された後、私たち研修医に外の病院に出てからの心構えを話された。
「受け持ち患者が多くなりますが、山を一つ創りなさい。広く浅くもいいですが、何か一つ山を創りなさい。何でもいいから興味のあるもの一つについて富士山を創るんですよ。一つ高い山ができれば、裾野は拡がりますよ。富士山の裾野は広いでしょう。どんなに忙しくても、何か一つ山を創りなさい。」今でもよく、この時の穏やかな笑顔と言葉を鮮烈に覚えている。
流行に乗った研究は、世の中が変わればたちまち忘れられる。それに反して、生涯を不遇に終わっても、今なお受け継がれていく先覚者の成果の数も少なくない。西川先生が肥満外来を大阪大学で開始されていなかったら、世界のメタボリックシンドローム研究の歴史は大きく変わっていたかもしれない。
たまにはヘリコプターに乗って、富士山が創られていくのを眺めるのもいい。