日の丸・上弦の月と高血圧

2007年2月 5日

 中高年、特に働き盛りの人の生活習慣を変えるのはわかっていても難しい。日の丸を背負った人の場合はなおさらだ。長島監督が日本チームを率いた後、脳梗塞で倒れた。王監督も病で倒れた。日の丸を背負った重圧は、背負った者でないとわからない。

 1990年10月21日から26日まで第6回国際肥満学会(会長故馬場茂明神戸大学第2内科教授)が神戸で開催された。大阪大学第2内科垂井清一郎教授がプログラム委員長になられた。垂井教授は垂井病を発見された学術肌の紳士で、私が尊敬している恩師のひとりだ。

 国際肥満学会のシンポシストへの招聘状、一般演題選定、座長決定、プログラム作成など松澤佑次講師(現住友病院院長)と私に託された。栄誉なことである。世界の肥満研究者と話ができる。日本の教授とも面識ができる。しかし、それは大変な作業で日の丸を背負うこととなった。

 1年前から夜の教授室に3人が集まって会議をすることが多くなった。ある日、いつもは温厚な垂井教授が「海外の人に失礼なことがあったら、日本の恥になる」と檄を飛ばされた。松澤先生は緊張された。私はさらに緊張した。1字のミスも許されない。誤字がないか心配で1~2時間しか眠れないこともあった。

 夏休み子供の自由研究で、家族4人の血圧を毎日1ヶ月間測定した。私の血圧は最高血圧180mmHg、最低血圧110mmHgと高血圧であることがわかった。妻の最高血圧は100mmHgで、妻の最高血圧が私の最低血圧を超えることはなかった。

 国際肥満学会の全貌を知っているのは松澤先生と私の2人しかいない。情報はすべて、2人の所に集まり、それに対応しなくてはならない。国際肥満学会の仕事量をこなすには心を高揚させておかなくてはならない。降圧薬も服用せず、いつしか脈が飛ぶようになった。私は2度と日の丸を背負った仕事はしたくないと思った。

 高槻にはまだ、自然が残っている。真鴨や白鷺がいる。仕事を終えた後オーバーコートを着て、女瀬川沿いを散策する。今城塚古墳の前の広場では数人の人が犬と遊んでいる。畑には白菜、ネギ、大根が植えてある。

 歩きながら東の空を見ると上弦の月が見える。満月に近い。上弦の月を眺めるなんて久しぶりだ。齢を重ねると同じ月でも見え方が違う。模様がうさぎに見える。若い頃には月に行くロケットの初速や角度はどうやって計算するのだろうと考えたものだ。

 40分散策し、家に帰ると今日の歩行数は9808歩だった。血圧は125/91mmHgと散歩しなかった昨日の血圧141/100mmHgより下がっていた。
 上弦の月を見ながら歩行すると血圧が下がる人もいる。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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