終末期医療とメタボリックシンドローム
平成18年の医療制度改革では平成37年時点で平均在院日数の短縮により4兆円、メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)など生活習慣病患者と予備軍減少により2兆円の医療費削減を見込んでいる。これが成功しても現在のような高齢者医療を持続することは難しいかもしれない。
ここ何年間か、高齢者の1人当たりの医療費は長野県が最も低い。これは予防医学が進んでいることもあるが、自宅で亡くなる人が多いためだ。入院して死亡すると、自宅で死亡するより100万円以上医療費が余計にかかる。
以前は90%の人が自宅で亡くなっていたが、昭和50年を境に逆転し、現在では90%の人が病院で死亡している。日本の死亡者数は現在年間110万人であるが、2038年には1.5倍の170万人が死亡すると推定されている。核家族化の中、在宅で死を迎えることは難しいだろうが、在宅で亡くなれば1兆7000億円削減できることになる。
私の父も病院で亡くなった。食べると誤燕性肺炎を起こすため、点滴のみで痩せ細っていた。強く逞しかった父が弱気になっていた。「苦しい。よくなる見込みがないなら、早く楽にしてくれ」と何度も言われた。現在の医療制度では安楽死は許されない。
昭和20年代後半、私の家では、ちゃぶ台を囲んで8人で夕食をとっていた。小学校に入るまで、私は父のあぐらの上に座って食べていた。
父の命はそう長くない。私は子供の頃のことを想い出し、父に「おぶってあげようか」と言った。父は頭で軽くうなずいた。父をベッドに腰掛けさせ、父を背中におぶった。あれほど恰幅のよかった父が、楽々と背負えた。父の両腕がだらりと私の両肩から前に力無く垂れた。
父の「男は人前で涙をみせるものではない」と言う言葉を、どんなに辛い時にも守ってきた。しかし、この時初めて涙がぼろぼろ流れ落ちた。9日後父は意識が無くなり、気管挿管して32日後亡くなった。今の医療制度では1度気管挿管すると、はずすことはできない。自宅に帰ることもできない。
暖かな冬の日、昼の休憩時間散歩に出る。JR西日本のサンダーバードが大阪に向かっていく。トロッコ列車の嵯峨野が京都に向かっていく。女瀬川ではカラスが遊んでいる。2羽の鴨が透き通った水の中で水掻きを動かして、スイスイ泳いでいる。
2本の自分の足で歩くことができる幸せをかみしめる。メタボリックシンドロームで脳梗塞になったら、他人の手を借りなければ自然と接することはできなくなるだろう。
これまで病院で300人の死を看取ってきた。病院では本人や家族の意向とは関係なく、1分1秒でも命を延ばすことになっている。意識もなく回復の見込みのない人で、果たしてそれでいいのだろうか。自然に枯れることを希望する人には、苦しまない治療だけをしてあげるのもいいのではないか、と私は思う。