肥満教室と鈍感力

2007年3月19日

 肥満患者さんは明るい。肥満教室はざわざわして明るい声が絶え間ない。昭和55年9月19日大阪大学病院で肥満患者さんの会「まどか(円)の会」が設立された。最初は大阪グランドホテルで始まり、リーガロイヤルホテルに移った。
 ホテルの料理長が牛肉の脂肪分を減らすなど工夫をして、フランス料理フルコースで400~800キロカロリーの低カロリー食メニューができた。まどかの会の中心になり、底抜けに明るかった石井和子管理栄養士が園田女子大に移られたため、平成18年4月6日に26年間の幕を閉じた。今でこそ著しい肥満は増えたが、100kg以上の肥満者が集まった姿は当時異様だった。ホテルでは158kgの女性が座れる椅子がなく、プロレスラー用の椅子を借りた。

 市立伊丹病院でも肥満患者さんの会「みつる(満)の会」を立ち上げた。私の行くところ管理栄養士さんには恵まれていた。この会も、みつるの会の中心となって、持ち前のバイタリティで活躍された山本國夫管理栄養士が甲子園大学に移られたため幕を閉じた。
 バス1台を借りて、徳島に阿波踊りの連を出そう。名前は「これ以上太ら連」にしようか「なかなか痩せら連」にしようかなどと話していた。本物の阿波踊りの半被を借りて、職員も患者さんも一緒に阿波踊りの稽古も行った。
 腰を低くして踊る阿波踊りは結構エネルギーを使う。患者さんと一緒に15分も踊ると汗びっしょりになった。「みつるの会」と「まどかの会」が合同で100kg級の肥満の人で練り歩く連が実現していたら、さぞかし圧巻だったろう。

 みんなの前では明るく振る舞う肥満患者さんも、悩みを抱えている。大学の研究室は狭く、午後はいっぱいになるのでその間肥満患者さんのところに行き、椅子に座り込んで話をした。私は肥満患者さんと話をするのが好きだ。患者さんと何日か話をすると、何故太ってきたのか、何故過食が止められない原因が次第にわかってくる。

 家族構成の話から始まり、職場の話などしている、女性肥満患者さんの80%の人は涙を流しながら話をしてくれた。私はただ頷いたり、相槌を打ったりするだけである。「お姑さんとうまくいかない」「夫が冷たい」「隣の人とトラブルがある」「職場でいじめられる」肥満患者さんは普通の人と同じように、傷つきやすい繊細な心を持っている。
 周りの人にとっては何でもないと思えることでも、本人は深刻に悩むこともある。嫌なことを言う人間や、厚かましい頼み事をする人間に対して、自分を守る鈍感力が必要な人も肥満患者さんの中には少なくない。

 100kg以上の肥満の人をみると、食欲を抑えられない自制心のない人だと思うかもしれないが、ただ単に食べ過ぎただけではここまで太れない。普通の人はここまで太るまでに膵臓から出るインスリンの分泌が悪くなり糖尿病になってしまう。「食べすぎだけでなく遺伝的要素を持っているから太っている」ということを理解してあげて欲しい。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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