市民運動と自治体病院

2007年5月29日

 2007年5月23日仙台行きの待ち時間、窓の外の飛び立つ飛行機を眺める。シェフお勧めビーフシチュー赤ワイン風味を食べながら、飛行場の向こうに拡がる街について考える。この街はいつまで縮小をつづけるのだろう。

 大型交通施設の一部移転で、税収は減り関連企業も移転した。医療は高度化し、患者さんからの要求も多くなっている。患者さんの大病院志向で内科外来患者数は40%増えた。近隣の病院は医師を増員したが、財政悪化に伴い自治体病院の常勤医師は10年間で2%しか増えなかった。近隣病院は外来患者数、入院患者数は同じなのに内科医師は1.5倍いる。自治体病院の内科医師は1.5倍の外来患者と入院患者を診察しなくてはならない。

平成1812月で自治体病院にいた5人の循環器の医師たちは、援護がなく全員止めてしまった。医師の過重労働によって支えられてきた時代は終わった。メタボリックシンドローム(糖尿病、高脂血症、高血圧)の帰結は脳梗塞か心筋梗塞である。市民は心筋梗塞や狭心症になっても救急車で市内の病院では診療してもらえなくなった。

「騒音をそのままにしておくか、減らすか」と問われたら、ほとんどの市民は「騒音を減らせ」と言うだろう。「税収が少なくなって市内で心筋梗塞を見てもらえなくなったり、自治体病院が閉鎖に追い込まれたりしても騒音を減らすか、騒音を我慢して大型交通施設を存続するか」と聞かれたら、市民は騒音を我慢しても心筋梗塞になったとき市内の病院で治療してもらう方を選ぶかもしれない。

勿論、CCU(冠動脈疾患集中治療室)が無くなった背景には、多くの要因があった。しかし、大型交通施設が存続していたら自治体からの援助もあり、循環器の医師も過労にならずCCUも存続していただろう。

この街は、江戸時代に阪神間の中心都市として栄えていた。明治、大正時代にこの街は3度縮小を選択した。住民運動で鉄道が通ることを拒んだ。園田村を尼崎に渡している。街の北部を宝塚に渡している。尼崎や西宮に追い抜かれ、宝塚にも抜かれてしまった。

全ての物事にはメリットとデメリットがある。鉄道や空港が存在することは騒音というデメリットの面だけでなく、税収が上がる、交通が便利になるというメリットがある。市民運動を中心になって行っている人の中にも、自治体病院にかかっている人がいるだろう。自分が心筋梗塞になった時、市内の病院に救急車で運ばれたい人もいただろう。

この街の住民は、明治以来4度縮小の道を選んだ。この街の住民は近隣都市の病院を頼りにすることになっても、騒音のない静かで小さな街を選択しつづけるのだろうか。市の将来は天ではなく、市民の声の大きさが決める。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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