標準体重ネーミングとメタボリックシンドローム

2007年11月27日
 2007年11月25日、伊丹空港から「メタボリックシンドロームとその予防」講演のため、JAC2345便2A席で出雲空港に向かった。

 飛行機は2列目だけ窓がなかった。今年6月の席は右が窓だったので、違う景色を見ようと左が窓の席を頼んだ。客室乗務員に「2列目だけ窓が無いのは何故ですか」と問いかけると「プロペラが2列目の横にあり、より安全のため窓がない」と答えられた。

 講演をした三刀屋小学校は、島根県雲南市の丘の上に建っていた。三刀屋小学校では日本糖尿病協会島根県支部の会が開かれており、約20ある糖尿病協会支部がそれぞれの活動状況を示した展示があった。講演の前に30分間、糖尿病患者さんと子供達計11人による三刀屋太鼓の演奏があった。和太鼓はストレス解消とともにエクササイズにもなりそうだ。

 座長は松江赤十字病院糖尿病・内分泌内科部長の佐藤利昭先生がされた。「みなさんが栄養指導で使っている標準体重計算式を作られた先生です。」と紹介された。

 標準体重を作ったのは19年前のことだ。1988年12月5日、新聞夕刊の1面に「成人病の恐れ少ない健康体重」「身長×身長×22で算出」「大阪大・徳永医師ら発見」の3段見出しで、私の顔写真、BMIと不健康指数のJカーブの図とともに掲載された。

 「食生活の欧米化、グルメ化とともに日本人も肥満の傾向が強まっているが、中高年男性にとって最も成人病の恐れが少なく健康的な体重(キロ)は、身長(メートル)の2乗に「22」を掛けた数字であることが、大阪大学第2内科徳永勝人医師・松澤佑次講師らが行った健康診断調査でわかり、9日から名古屋で開かれる第9回日本肥満学会で発表される。・・・」という内容の記事だった。

 標準体重計算式は阪大方式と呼ばれるようになった。そして、阪大方式はいつのまにか肥満学会方式と呼ばれるようになった。大阪大学で作ったのだから阪大方式で間違いではない。多くの人に使ってもらうために、肥満学会方式になったのかもしれない。日本肥満学会の「新しい肥満の判定と肥満症の診断基準2000」では敬意を表して、私たちの論文が最初に引用されている。

 しかし、「標準体重が欧米人の死亡率が低いことから作られた」と考える人が出てくると、それはおかしい。釈然としなくなってくる。日本人のデータを使って、日本人が考えた標準体重が、何故「欧米人の長命というデータからできた」とねじ曲がった歴史認識となるのか。

 人の記憶は都合のよいところは覚えていて、都合の悪いところは消し去ろうとする働きがある。名称と歴史認識は、様々な思惑が絡み合って変遷していく。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
目でみる臨床栄養学 UPDATE
メタボリックシンドローム

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