内臓脂肪ネーミングとメタボリックシンドローム

2007年12月 6日
 メタボリック教室も今日で100回となる。メタボリックシンドロームの基本となる「内臓脂肪」という言葉は1980年5月に私が創った日本語で、それまでは「皮下脂肪」という言葉しかなかった。ハニカミ王子も鈍感力も、言葉は全て誰かが創っている。

 2007年12月3日、インターネットのヤフー検索サイト数「内臓脂肪」は185万件となり、「皮下脂肪」の161万件を越えていた。2年前のヤフー検索サイト数は皮下脂肪が100万件、内臓脂肪が10万件で、内臓脂肪が皮下脂肪を抜くことはないと思っていた。 

 2006年5月16日の厚生労働省の発表で、あっという間に検索数が18倍になった。本屋に並ぶタイトルも、内臓脂肪の方が皮下脂肪より多くなっている。

 内臓脂肪は、腹部臍の高さのCTスキャン像を(1)皮下脂肪、(2)骨・筋、(3)内臓、(4)内臓脂肪の4つに分けて測定したことから始まる。1980年2月大阪大学にCTスキャンが導入され、5月肥満女性患者のCT像で、腹腔内に皮下脂肪と同じ濃度の場所があることから内臓脂肪の測定を開始した。

 CTスキャンは当時貴重品で、CT装置で直接面積を測定することができなかった。CTフィルムをブルーコピーに焼き、ブルーコピーを普通の白黒コピーにした。CT像のコピーの皮膚のラインをハサミで切り、腹部総断面の重量(1)を微量天秤で測定した。

 次いで腹筋の外側のラインを切り中の重量を測定(2)、腹筋の内側のラインを切り中の重量(3)を測定、腹腔内の腸管など脂肪の濃度でない部分を切り取って残りの重量④を測定した。(1)-(2)を皮下脂肪、(2)-(3)を筋+骨、(3)-(4)を内臓、(4)を内臓に対し「内臓脂肪」と名付けた。それぞれの重量から面積を算出した。

 垂井清一郎先生に「内臓脂肪より、もっとスマートな言葉はないのか」と言われたことがある。カナダではディープファット(深部脂肪)、欧州では腹腔内脂肪と呼ばれている。
 松澤佑次先生が内臓脂肪型肥満と皮下脂肪型肥満に分類され、内臓脂肪症候群のメカニズムを明らかにされて、内臓脂肪は世界中に広まった。

 石川勝憲先生、首藤弘史先生達から引き継いだ肥満研究を、藤岡滋典君、下村伊一郎君、前田和久君らに引き継ぎ、船橋徹君、中村正君、木原進士君らに引き継がれている。
 親が種を蒔き、子が実を収穫する。そして子が種を蒔き、孫が実を収穫する。技術とともに、高い志が継承されていく。それが伝統だ。

 100回はあっという間だった。書くために外に出る。書くことで新しい自分探しをすることができた。白鷺が用水路の餌を求めて戻ってきた。高槻に3度目の冬が来た。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
目でみる臨床栄養学 UPDATE
メタボリックシンドローム

著作権について