感謝の気持ちとメタボリックシンドローム

2007年12月 7日
 2007年12月3日、星野ジャパンは台湾戦に勝ってオリンピック出場が決まった。星野仙一監督は選手に、裏方さんに、しきりに感謝の気持ちを伝え、涙ぐんでいた。

 私は星野監督と同世代だ。若い頃は「自分一人でも生きていける」と人に感謝することはあまりなかった。この歳になると、自然といろいろな人や物に感謝の気持ちを持つようになってきた。センター長室を掃除してくれるおばさんにも、おみやげを買ってきている。

 若い頃、私は同級生の前田義章君、静岡市で開業している大石達夫君と、看護学校で内科学を教えていた。看護師さんは病院や診療所で働きながら、授業を受けていた。阪神ホテルで行われた卒業式の謝恩会で握手をした時、みんな涙を流していた。最後に看護師さん達は2列に並び、お互いに向き合い、両手をアーチにして長いトンネルを作った。

 私達は体をかがめて、すすり泣く看護師さん達のアーチの中を歩いて行った。当時、私は「看護師の資格を得ただけで、何故こんなにも感極まって泣くのだろう」と思った。最近、苦労の末に得たものがある時、人は感謝の気持ちから泣くものだとわかってきた。

 2007年9月29日、大阪大学昭和49年卒の同窓会で玉置俊治君が「大手広告代理店の人に描いてもらった図が、世界的に有名になったな」と私に言った。CTスキャンで脂肪組織を分析した論文に載せてあるお人形さんのような図は、大手広告代理店の人に描いてもらったものだ。

 私は大阪大学病院時代、大手広告代理店で週2回勤務していた。テレビコマーシャルの会社で、大原麗子や研ナオコなどが来ていた。入社するのは70倍の難関を通ってきた人達で、競争なしで出入りできるのは医師の資格のお陰だと有りがたく思った。

 国際肥満雑誌(Int J Obesity:1983年)の438ページの図1と441ページの図4は、夏木マリのコマーシャルを作成している人に頼んで描いてもらった。図4の腹部曲線はプロの人でないと描けない微妙な曲線だ。論文は世界中の医学部図書館で見ることができる。私もいろいろな業界の人の世話になったものだ。

  昼食後、JR東海道線沿いを歩く。落葉し、木々に残る赤や黄色の葉はわずかになってきた。松下電器の構内にいる黒い猫が、歩いてついてくる。立ち止まって猫を見ると、フェンスの向こうの猫は黄色い目をこちらに向けた。猫の目の濃い黄色は、スリラーに出てくるマイケル・ジャクソンの目に似ている。じっと見ても、猫は微動だにしない。5~6歩歩いて振り返ると、一瞬のうちに猫はいなくなっていた。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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