芦屋川とメタボリックシンドローム

2008年6月26日

    2008年4月からの兵庫県民体の健康行動指標には「通勤・通学、ちょっとした工夫での楽しい運動」などがある。

 

4月から通勤を工夫し、毎日違ったコースで帰宅している。阪神三宮駅から阪神岩屋駅に行き、JR灘駅の横を抜けて阪急王子公園駅まで歩いて行ったり、JR三宮駅からJR桜夙川駅に行き、阪急夙川駅まで川沿いを散策したりしている。

 

阪神元町駅から阪神芦屋駅に行き、芦屋川沿いを歩いた。川の水は透き通っていて、底の岩や石がよく見える。ザーザーと流れる水の音に癒される。阪急芦屋川駅に来るのは26年ぶりだ。2日酔いの気だるい体で、この駅で下車し市立芦屋病院に通勤していたことを思い出す。

 

1982年、市立芦屋病院は当時5階建ての本館と、2階建ての北病棟からなっていた。芦屋病院では内科医師、内科外来、医局、5階病棟、北1病棟、北2病棟、病院管理職、薬剤部、芦屋市管理職、芦屋医師会と10回も歓迎会をしてもらった。送別会も9回してもらった。

 

CTスキャンはなく、IVH(高カロリー輸液)・気管挿管もほとんどすることはなく、重症患者さんも酸素吸入・点滴をするぐらいだった。当直は月4回あったが、それほど過酷な勤務ではなかった。当時の市立病院は、私にとって楽しい職場だった。

夕方5時になると、正面玄関に先輩医師や看護師さんが待っていて、神戸三宮の東門筋に飲みに行っていた。5階病棟とは淡路島へ、北2病棟とは琵琶湖に一泊旅行をした。

 

11年後の1993年市立病院は一変していた。日勤の看護師さんは午後78時まで詰所で看護記録を書き、私は入院カルテ整理、会議、書類書きなどで8時前に病院を出ることができなくなった。

医療は検査や治療が高度化し、仕事量が各段に増えていた。多くの内科医師は心臓カテーテル検査、胃カメラ、超音波検査などで半日費やし、治療も高度となり13時間は仕事量が増していた。

 

医療が高度化し濃厚な診療をすることは、必ずしも医療従事者や患者さんを幸せにはさせない。治癒率の上昇による医療への過度の期待は、患者さんのクレームを増加させた。医療費が増加し続けているのも、高齢化だけでなく高度医療によるところが大きい。

 

「医学の進歩はよいことだが、デメリットもある。医療者と受療者が対立するのではなく、互いに尊重し信頼することが必要だ」と思った。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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