大阪空港とメタボリックシンドローム
人は誰しも多かれ少なかれ悔いを残して亡くなるものである。要職にあった人の悔いは、なおさら大きいこともある。
2008年8月1日の朝刊1面に「大阪空港廃止も検討 橋下知事、庁内に指示」の記事が載った。航空各社が関西空港減便を予定していることを受け、大阪府の橋下徹知事は31日、国や航空各社に関西空港の活性化を要望した。それとともに大阪空港の廃止も視野に検討することを明らかにした。
大阪空港廃止に大きく関わられた人の主治医をしていた。利害関係のない気安さからか「大阪空港を子ども達に、夢を与える空港にしたい。滑走路を囲むように、南側にU字型の緑地帯を作り、機関車トーマスを走らせたい。JR
メタボリックシンドローム関連疾患で亡くなられる前、大阪空港廃止を決めたことを悔いておられた。誰かに自分の本心を告げておかれたかったのだろう。「アンケート調査では、市民の93%が存続、7%が廃止だった。騒音を承知で空港ができてから来た人達が、空港廃止運動をした。私の力ではどうすることもできなかった」と言われた。他の人への迷惑を意識されてか、具体的な名前や組織は言われなかった。
何人かの知人に大阪空港廃止宣言になった経緯について聞いてみた。みんな、いろいろなことを言う。2人の知人からは元大物国会議員の名前が出た。
ある知人は「"大阪空港のある街は騒音がひどく、人の住める街ではない"というシナリオを書いた人物がいたのではないか。防音対策に1住宅当たり200万~300万円かかり、1万住宅は防音工事をしたので200~300億円のお金が動いている。学校や病院など公共施設を含めると、その何倍にもなるお金が動いているだろう。日本のトップに近い人物も関係していたかもしれない」と言う。半分ぐらい当たっているかもしれない。
教育委員会の友人は「世の中には知らない方がいい世界もある」と言う。真相は闇の中だ。
市の発展を願っていたのに、自分の意志と反対の方向になったことを、最後に誰かに告げられたかったのだろう。私の心の中には、「大多数の市民は空港存続だったのに」と言われた時の無念の表情が、今も残っている。
多くの要因が複雑に絡み合って、大阪空港廃止を決断されたのだろう。全てのことに満足できる人生などない。しかし、その人の歩いた足跡は確実に残っている。