京都の世界遺産とメタボリックシンドローム
2008年11月1日、世界遺産の京都下鴨神社に行った。
春の「葵祭」に行った時は流鏑馬(やぶさめ)で人が多くわからなかったが、入るとすぐ左に鴨長明ゆかりの河合神社があった。新古今和歌集に出てくる「瀬見の小川」が透き通って流れており、紅葉橋が架かっていた。
辺りはニレの木が鬱蒼と繁り冷んやりとし、もうすぐ紅葉が綺麗になりそうだ。小鳥の囀りと、カラスの鳴き声が聞こえてきた。
下鴨神社の宮司の次男として生まれた鴨長明は、幼少の時から秀で多くの和歌を残している。50歳の時に全ての要職を棄て隠居生活に入り、方丈という小さな家の中で暮らし、60歳で世の無常と人生のはかなさを随筆で表した方丈記を書き、62歳で没している。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし」で始まる方丈記は世の無常と人生のはかなさを表し、清少納言の「枕草子」、吉田兼好の「徒然草」とともに日本3大随筆と呼ばれている。
河合神社の中には鴨長明が考案したという「方丈の庵(いおり)」があった。方丈は移動できるプレハブ住宅のようなもので、転々と住居を移動していた。方丈の広さは1丈(約3メートル)四方で約2.73坪になる。方丈の中央には正方形の囲炉裏があり、右奧には机、その隣に蝋燭が立っていた。
鴨長明は、小さな机で方丈記を書いたのだろうか。5畳半の狭い空間で12年間過ごしている。草木の生い茂った環境の中で、自然と一体となって生活し、活力を得ていたのだろう。日本で暮らす多くの人達が今、自然のない閉ざされた空間で働き疲弊している。
ごはんは誰が作っていたのか。当時は精白米でなく、精製されていない穀類だったのだろうか。冬は寒そうだ。現代の人は、好きなものを好きなだけ食べ、冷暖房の効いた部屋で生活していても満足していない。現代人は昼も夜もない忙しい生活を送っている。そして、生活習慣病や精神障害を引き起こしている。
下鴨神社内の散策路は木の皮と落ち葉で埋まっており、歩いていて心地がよかった。京都の街に出て京料理を食べた。湯葉の造り、茄子の田楽、野菜の煮物からデザートの豆乳のプリンまで、京料理はカロリーが少なくヘルシーだ。
自然と一体となって「夜間働かない、贅沢をしない、精製しない穀物を摂取する」など昔の生活の良いところを取り戻した方が、メタボやメンタルにはよさそうだ。