阪急西宮ガーデンズとメタボリックシンドローム
2008年11月29日土曜日、阪急西宮球場跡地にできた阪急西宮ガーデンズに行った。
3日前にオープンしたばかりとあって、西宮北口駅前はごった返していた。人の群がつづき、歩く歩道を乗り継ぐと、西日本一という大型ショッピングセンターがあった。阪急百貨店など268店舗が揃い、床は全面絨毯張りで足にやさしい。
4階のレストラン街の各店には昼食時とあって長蛇の列でき、前に進めないほど混雑していた。西宮北口には1968年から8年間暮らしていた。屋上から見える街並みは様変わりしたが、六甲山の姿かたちは30年の時を経ても変わっていない。
5階には12スクリーン2200席を有するシネマがあった。その隣に阪急西宮ギャラリーがあり、阪急ブレーブスの記念品が飾られていた。4番打者で本塁打王に3回、打点王に3回に輝いた長池徳二選手とは、阪神大震災で崩壊した同じマンションに住んでいた。真下の部屋に住んでおられ、エレベーターで一緒になっていた。
マンション1階にあるフランス料理店には、右のエース米田哲也投手と左のエース梶本隆夫投手がよく食べに来ていた。夜になると7階の部屋から西宮球場のナイターの灯りが見え、球場から大歓声が聞こえてくると野球観戦に行っていた。284勝した山田久志投手が新人の頃で、投げても投げても負けつづけていたが、監督は辛抱強く使っていた。
阪急西宮球場跡地は、大規模な医療センターが計画されていた。阪神間の5つの公立病院が統廃合し、医療センター長の候補者名も挙がっていたが、住民の反対運動などで建設中止になったという。
大阪では城北市民病院、桃山市民病院、桃山病院、母子センター、小児保健センターの5つの公立病院が統廃合され、
大阪総合医療センターも、反対運動で一度は白紙撤回となった。韓国・中国の東アジア地域で災害が起きた時、いつでも患者さんを受け入れられるようヘリポートも備えられ、「東アジアを見据えた拠点病院」として位置づけられて建設された。
公立病院の近隣に住む人達が、メリットがない病院移転に反対するのは当然だろう。阪神地区には高度先端医療ができる大学病院もある。経営難という理由だけでは、5つの公立病院の統廃合は難しい。地域住民に納得してもらうためには、地域の医療ニーズに対応した病院で、「錦の御旗」が必要だったのかもしれない。
昔暮らした街を歩くことは、脚の血流を増加させメタボリックシンドローム対策になるとともに、脳の血流も増加させて老化防止によい。