京都の紅葉とメタボリックシンドローム
2008年12月6日、
李朝古美術を扱う店は少なく、全国からお客さんが来られるという。李朝は儒教の国で、白は潔白を表す。米国人が好む赤や金色と異なり、白磁は侘び寂びを感じさせる。志賀直哉、川端康成、小林秀雄など日本の文化人は白磁を愛している。
李朝陶磁器は真っ直ぐではなく、少し傾いている。おおらかで気取らない素朴さがあり、くつろげる。井上陽水の「白い一日」を作詞した小椋桂は、一日中飽きもせず、真っ白な陶磁器を眺めていたのだろうか。祇園精舎の向かいには「一澤信三郎帆布」があり、賑わっていた。
紅葉を観に黒谷に行った。真如堂は真紅やオレンジ色の紅葉があり、山門の前は落ちた紅葉が絨毯のようになっていた。本堂の前には菩提樹の木があり、葉がたくさん落ちていた。「この葉の先にある実で数珠ができるのよ」と妻が言う。よく見ると8cmの細長い葉の先に、直径7mmの実がついていた。
新撰組の本拠地だった金戒(こんかい)光明寺の横を歩いていると、京都帝國大学医學部慰霊墓地があった。献体された人のためのものだろう。阪神間には、京大系の公立病院2つがある。阪急西宮球場跡地は、阪神間の5つの公立病院が統廃合され大きな医療センターが計画されていたという。
阪神間にある病院のCCU(心臓集中治療室)は医師・看護師不足で、廃止されたり、昼間だけになるなど一気に崩壊した。「メタボリックシンドローム総合医療センター」にして、24時間いつでも心筋梗塞や脳血管障害を受け入れる病院にすれば、住民の賛同を得たかもしれない。国策にも合っている。
大きな病院は大学病院と同じく、診療とともに研究・教育も担う必要がある。大阪にある大きな公立病院では、卒後研修スーパーローテートの募集18人に対し70人が応募したという。大きな病院になっていれば、多くの研修医が来ただろう。
一つの医局だけでは、ぬるま湯になる。2つでは、派閥ができ対立する。3つ以上の医局が集まった方が、他流試合ができて向上するだろう。松澤佑次日本肥満学会理事長、清野裕日本糖尿病協会理事長長、中尾一和日本内分泌学会理事長の門下生が集まれば、単なる仲良しクラブではなく、緊張感のある内科ができただろう。
「世界を見据えたメタボリックシンドローム診療の拠点病院」として位置づけるなどのビジョンが必要だったのかもしれない。京阪神の大学医局から人材が集まれば西宮は「メタボリックシンドローム臨床研究のメッカ」と呼ばれるようになっていたかもしれない。