はだしのラグビー部と庄原格致高校
2009年2月14日バレンタインデー、大阪府医師会館での政治評論家・三宅久之氏によるOMC創立50周年記念講演「ズバリ直言、これでよいのか、日本の政治は」に行った。
2階ホールは、以前「肥満症」の講演を1時間した会場だった。中央、前から4列目で拝聴した。政治、経済、外交からテレビ番組「そこまで言って委員会」まで、メディアでは語れない正論を話された。近くで見る三宅久之氏の頭皮はつやつやで、光り輝いており、私の父(久人)を彷彿とさせる姿に、つい涙ぐんでしまった。
父は広島県立庄原格致高校に強烈なインパクトを残していたようだ。父が1965年4月にした庄原格致高校入学式での父兄代表スピーチは、40数年後の今も伝説となっている。
一昨年、高校時代の歴史や古典の恩師を訪れたとき、ともに最初に出てきたのは父のスピーチのことだった。「お父さんに田舎の公立高校からでも一流大学に行けるように言われ、職員室に帰ったとき、みんなシーンとなった」「テレビに三宅久之が出ると、お父さんを思い出す」と言われた。
日銀総裁の片腕になった同級生が「京都大学法学部に入学できたのも、お父さんのお陰だ。入学式のスピーチで、先生方が本気になられた」と、同窓会で会った時に言っていた。「担任の先生が、燃え尽きそうになるまで模擬試験問題を作っておられた」という。
高校1年生の遠足で七塚原牧場に行った時、桜の木の下で体育の先生が体格のよい生徒をみなラグビー部に勧誘されていた。ラグビー部は3年生の1967年、広島県大会の決勝へ進んだ。裸足(はだし)で走り回るラグビー部を、学校でテレビを観ながら応援した。山間部の「はだしのラグビー部」は都会の高校を破り優勝し、全国大会初出場を果たした。
昭和43年に卒業した「花の43卒」は、先生の熱意が伝わったのか「あの学年か!」と同窓会長に言われるほど、エネルギーに溢れた学年となった。大手不動産、電器メーカー、テレビ局、公立病院総師長など各界で活躍している。地元庄原でも行政、商工会議所、教育委員会、郵便局、医療界、宗教界で中心となっている。
14日、家に帰り貰っていたバレンタインチョコを食べた。青春時代の淡い想い出がよみがえる。バレンタインチョコを初めて知ったのは、高校1年生1966年の事だった。カバンの中に、赤い包みのロッテガーナミルクチョコレートが入っていた。高校1年D組の生徒は56人で、女子は30人いた。誰が入れたのか43年後の今もわからない。
山間部の公立高校でも先生がやる気になり、生徒に愛情が伝われば、文武とも学校全体の活力をあげることができる。メタボ対策と同様、モチベーションが大切だ。