石山寺とメタボリックシンドローム
2009年2月28日快晴となり、名神高速道路で東に向かった。
大津サービスエリアの琵琶湖が一望できるレストランで、近江牛ハンバーグ定食を食べながら、
源頼朝寄進の石山寺東大門の左右には、運慶・湛慶作の仁王像があった。石山寺に入場すると、すぐ左に島崎藤村ゆかりの密蔵院がある。藤村は22歳の時、教え子との愛と苦悩で関西に旅立ち、ここに2ヶ月間滞在し心を癒したという。以前来たときは何も感じなかったが、今は寺の深い緑、苔むした岩に感動を覚える。
急な階段を上ると正面に、石山寺の語源となる天然記念物硅灰石があった。右に進み、第1梅園に行くと赤、白、ピンクの梅の花が咲いていた。真紅の藪椿と赤い寒椿も咲いていた。「同じ椿なのに花びらが違う」と妻はいう。よく見ると藪椿の花は大きく筒状で、寒椿の花は小さく八重になっていた。
坂の途中から白い雪を頂いた比良山系が見えた。手前には琵琶湖、東海道新幹線、名神高速道路が見える。坂を上った高台に瀬田川を見下ろす月見亭があり、その隣に松尾芭蕉が仮住まいをしたという芭蕉庵があった。近くにある国宝の多宝塔は二重の塔で、1層は正方形、2層は円錐台の上に円柱が載っている奇妙な形をしていた。
さらに昇っていくと、菅原道真ゆかりの第2梅園があった。膝がガクガクし、太股が痛くなってくる。石山寺は巨大な硅灰石の上に建てられており、寺というより城に近い。
第3梅園から下り、回遊式庭園「無憂園」に行くと甘露の滝があった。滝の左にある木々の間から漏れる太陽の光が眩しい。再び坂道を上り、本堂に行った。本堂には源氏の間があり、十二単を着た紫式部が座っていた。机があり、右に硯、左に巻紙がある。こんな狭いところで、源氏物語を書いたのか。
「源氏の間は何畳ですか」とお寺の人に聞くと「前の部屋が4畳半、後ろの部屋が4畳半の9畳で、後ろの部屋には下女がいた。1000年前には窓の前に木々がなく、瀬田川に映る金勝山から昇る月を見ることができた。紫式部は8月15日、中秋の名月を見ながら、この部屋で源氏物語の構想を練った」と答えられた。
源氏の間の横にポスターがあり「3月1日正午から観音様のお扉が7年ぶりに開きます」とある。1日遅れて来たら人が一杯で、駐車場にも入れなかっただろう。ラッキーだった。
休日は郊外に出るといい。石山寺を見るだけで運動となり、メタボ対策になる。