走れメロスと高校同期同窓会
2009年5月3日午後5時から、広島県庄原市にある庄原グランドホテルで「庄原格致高校1968年卒同窓会」が還暦を記念して開催された。
高校同期同窓会は、輝いていた青春時代の楽しかったこと、嬉しかったことを想い出しに、遠い故郷に帰ってくる。331名の同級生のうち83名(男性30名、女性53名)が参加した。最初、これまで亡くなった22名に対し、黙とうが捧げられた。6.6%の死亡率は、大阪大学の同級生の死亡率6.7%とほぼ同じだ。
乾杯の音頭を総務省関連の日本通信協会タイムビジネス協議会会長をしている藤原剛君がとった。藤原君は「茅ヶ崎を5月2日午前1時30分に出発し、庄原へ午後6時30分に到着。高速道路1000円で東名高速から渋滞がつづき、800kmを17時間運転してフラフラになった。庄原市の宿は満室で、隣の市に宿泊した」と言う。
今年3月に藤原君と大手不動産神戸支店長をしている同級生と3人で、大阪市北区の居酒屋で鯨料理を食べながら、格致高校の同窓会に出席しようと約束した。高校の時、教材となった太宰治の"走れメロス"のように、約束を守ってみんな遠くからやって来た。太宰治の"人間失格"は、若い頃よくわからなかったが、今は理解できる。
万歳三唱をした同級生も「相模原から18時間運転し、同窓会だけのため来た」と言う。
何人かの同級生が、私が高校時代に170cm、47kgでガリガリだったことを覚えており、「メタボの専門家がメタボになったのでは」と言われた。中間試験や期末試験の後、何人かで加山雄三の「エレキの若大将」を観たり、上野池公園でボートに乗ったりしていた。
いくら勉強ができても女友達はできない。スポーツか音楽ができないと女の子にもてないと考えた私は、高校になって作曲を始めた。今のようにメールはなく、同級生のために友人と私がラブソングを代筆したこともあった。
私の筆箱の中に「いい人はいいね。・・・」と川端康成の"伊豆の踊子"に出てくるセリフの入った短い手紙が入っていた。"誰が書いたのか、友達のいたずらか"40数年間の謎が解けた。「冷たい雨の降る日には、僕は君の傘の中(男)、あなたの肩に触れるとき、私の心は夢の中(女)・・・」とデュエット曲を作詞してくれた同級生の文学少女だった。
出席している人を見ると、大阪の60歳に比べ5歳は若く見える。自然の中で育ったのがいいのか。癌など体調の悪い人は来ることができず、元気な人だけ参加しているのか。
「5年後の次回まで、病院の世話にはなっても、お寺の世話にはならないようにしましょう」と住職をしている同級生の言葉で同期同窓会は締めくくられた。