杉田玄白ゆかりの街とメタボリックシンドローム
2009年6月1日、60歳の誕生日を迎えた。昨年の誕生日記念"日帰り旅行"は、滋賀県彦根市(メタボリック教室第142段「彦根の食・ロケ地とメタボリックシンドローム」)に行った。今年は杉田玄白ゆかりの地、福井県小浜市に行くことにした。
5月31日の日曜日、午前10時出発、名神高速道路の京都東インターから湖西道路に入った。琵琶湖を眺めながら進み、真野インターで降りて山へ向かった。緑の木々が立ち並び、窓を開けると森林の香りがする。風が冷たく気温は16℃で、大阪より10℃は低い。
小浜から京都へ鯖を運んでいた鯖街道(若狭街道)を北に進んだ。朽木宿を通り熊川宿に行った。熊川宿は近江と若狭の国境にある交通・軍事の要衝地で、散策すると"入り鉄砲に出女"を取り締まった番所などがあった。土産に"焼きさば寿司"と"くずきり梅"を買った。
道の駅「若狭熊川宿」に、農林水産省北陸農政局が作成した「食育を進めよう!」のパンフレットがたくさん置いてあった。「食育という言葉は、新しい言葉ではなく、明治時代に福井県出身の石塚左玄が日本で初めて使った言葉で、体育・知育・才育・徳育と並ぶ五育として広く用いられた」と書いてある。福井県は食育の発祥地だった。
午後1時30分、JR小浜駅前の通りは全国どこの商店街でもみられるように、休日なのに半分以上の店がシャッターを下ろしている。観光地の若狭フィッシャーマンズワーフは、そとも遊覧船に乗る人でにぎわっていた。小浜湾を眺めながら漁師汁付き造り定食を食べ、お土産に"おばままんじゅう I❤OBAMA"と"オバマハンバーグ サバ"を買った。
小浜駅に戻り、近くにある江戸時代の蘭学医"杉田玄白"像に向かった。杉田玄白は1733年に江戸の小浜藩に生まれ、幼少時代を小浜で過ごしている。若い頃、エレキテルの平賀源内とも交友があった。前野良沢らと"ターヘル・アナトミア"を和訳し、刑場で死体の腑分を行い"解体新書"を作成し、晩年"蘭学事始"を執筆している。
杉田玄白記念公立小浜病院の前にある公園に、大きくそびえるブロンズ像が建っていた。見に行くと別人で、病院のすぐ前に杉田玄白の銅像が建っていた。「こんなに小さいの」と妻は言う。想像していたものより小柄な像だったが、銅像の大きさが人物の大きさに比例するとは限らない。
公立小浜病院の玄関を入ると、ロビーの右手の棚に「メタボ読本」のパンフレットが何冊か立てかけてあり、"メタボと戦うあなたのための食事の話・運動の話"などがあった。
杉田玄白ゆかりの街でも、メタボリックシンドローム対策が行われている。