伊丹市昆虫館とメタボリックシンドローム
2009年6月13日、兵庫県伊丹市にあるS氏ゆかりの館「伊丹市昆虫館」に行った。
昆陽池公園西口に駐車し、緑の森を歩いて行った。午後1時30分の昆虫館は、小さな子供たちで賑わっていた。ヘラクレスオオカブトムシやクワガタムシを喜んで見ている。
チョウ温室は、大阪から観光バスが来るだけあって一見の価値がある。赤いハイビスカス、白い胡蝶蘭など花が咲き乱れ、クロアゲハ、紫色のナガサキアゲハなど飛んでいる。じっとして動かないコノハチョウは、見れば見るほど枯れ葉に見える。
昆虫館は子供たちに夢を与えるためにできたという。そういえばS氏は高見山関や子供たちといっしょに「一日一善」という、テレビコマーシャルをやっていた。S氏は子供好きだったのだろう。
最近、年寄り同士で楽しく話をしているとよく故S氏の話が出てくる。大阪府北部にある市役所OBの人に「大阪府以外にも伊丹市にS氏の家があり、伊丹市にある昆虫館はS氏からのプレゼントだ」と言われた。伊丹市に32年間住みながら、医療に朝から夜遅くまで忙しく、世の中のことを何も知らなかった。
スリランカに毎年行っていたという商社OBの人に「スリランカでは対日感情が非常によかった。S氏がスリランカのコロンボ港を作り、経済援助を行った。それに感謝したスリランカの大統領が、日本が国際社会に復帰できるよう東南アジア諸国を説得した。戦後日本が国際社会に早く復帰できたのも、S氏のおかげだ」と言われた。
40年前の1969年7月19、20日、奈良県高市郡高取町壺阪寺での夏季大学に、同級生3人で参加した。19日作家の永井路子氏の講演があり、壺阪寺に宿泊した。20日万葉学者の犬養孝氏とS氏の講演があった。
S氏は小柄な人で、70歳には思えない艶のいい顔をされていた。「戦時中のことや、大阪に自分の飛行場を所有していること」など話され、大金持ちだと思った。その夜、アポロ11号のアームストロングが月面に降り立ったニュースをしていた。お寺にも援助をされており、京都駅北側の景観が保たれているのも、S氏の力によるものかもしれない。
S氏はメタボリックシンドロームにも関係されている。「1に運動、2に食事、しっかり禁煙、最後にくすり」とあるが、1に運動の根拠となった研究に関わられている。
私の父は生前「タンスにしまって使われないお金は無いに等しい。生きた金を使え。功徳は黙ってつむものだ」と言っていた。父が国立大や名門私立大の学生3人に学資を出し、足長おじさんをしていたことを知ったのは、父の死後だった。