マイケル・ジャクソンとメタボリックシンドローム

2009年6月28日

    2009626日朝、20世紀最大のスーパースター「マイケル・ジャクソン」の急死が伝えられた。

 

マイケル・ジャクソンが活躍していた時期は、私が人生の中で最も輝いた時期と一致する。マイケル・ジャクソンを知ったのは1983年米国留学中で、GM(ゼネラル・モーターズ)社製の大きな白い車"カマロ"を運転しながら、FMラジオから流れてくる"ビート・イット"を聴いていた。

 

ロサンゼルスではMTV1日中つけっぱなしにし、"スリラー"の音楽が始まるとプロモーションビデオに見入っていた。何度見ても見あきない迫力があった。日本にいる同級生が送ってくれる歌番組の音楽は、レベルが違い全く聴く気になれなかった。

 

当時、マイケル・ジャクソンは私が住んでいたロサンゼルス郡グレンデール市と同じ、サンファナンドバレーに住んでいた。マイケル・ジャクソンが住んでいた地区は緑が多く、大きな邸宅が立ち並んでいた。GM車カマロに乗って探しまわったが、どの家なのかわからなかった。

 

マイケル・ジャクソンのロス公演に2度申し込んだが、チケットは手に入らなかった。日本に帰国し、大阪市役所診療所長をしていた1987918日金曜日、マイケル・ジャクソンがお忍びで大阪市役所を表敬訪問した。私は診療中で姿を見ることはできなかったが、19日土曜日、西宮球場で午後630分から840分まで公演を見ることができた。

 

ラジオの生放送30分番組に「糖尿病の話」のテーマで出演したことがある。前もって1つ番組中にかける曲を聞かれた。仕事も順調で、子供も小さく、"こんなに幸せでいいのか"と思っていた時代に、MTVでよくかかっていたマイケル・ジャクソンのビート・イットをリクエストした。

 

2008120日放送のFMCOCOLO"人クリック"「あなたは大丈夫?メタボリックシンドロームのメカニズムと解消法」でも想い出の曲を2曲リクエストされた。その時もデュラン・デュランのザ・リフレックスとともにマイケル・ジャクソンのビート・イットをリクエストし、曲が流れた。

 

19831985年当時、デュラン・デュラン、カルチャークラブ、ポリス、イエス、ユーリズミックスなどブリティッシュ・サウンド全盛の時代、米国人歌手としてマイケル・ジャクソンは彼らに対し、圧倒的な存在感を示していた。

 

マイケル・ジャクソンは亡くなり、GMも経営破たんした。「栄枯盛衰、盛者必滅」。順風満帆と見えた絶頂期が、転落への始まりだったのかもしれない。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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メタボリックシンドローム

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