大石内蔵助ゆかりの寺と肥満・コレステロール
2009年10月4日、京都市山科区西野山にある曹洞宗永平寺派天寧寺の末寺「岩屋寺(いわやじ)」、通称"大石寺(おおいしでら)"に行った。
午前10時30分出発、名神高速道路京都東インターで降りた。忠臣蔵の大石内蔵助が潜んでいた岩屋寺は細い舗装道路を登った所にあった。ぎんなんの匂いがし、大石弁財天の小さな池では、大きな緋鯉が9匹泳いでいた。
岩屋寺の中に47士の位牌があった。NHKの大河ドラマ「赤穂浪士(1964年)」で舟木一夫が演じていた18歳の矢頭右衛門七の位牌は、最前列の右から4番目にあった。位牌にある最初の字"刃"は切腹を意味し、討ち入りの前に位牌を作ったという。内蔵助は2手先、3手先まで読める男だったのだろう。
畳の部屋に内蔵助と大石主税(ちから)が愛用していた机が並んで置いてあった。1枚板でできており、どちらも高さが著しく低い。お寺の人に聞くと「現在のように机の上で書いていたのではなく、巻物を手に持ってさらさら書いていた。当時、机は低いほど使いやすかった」と答えられた。
柔らかい金属でできた"かたびら襦袢(じゅばん:肌着)"が置いてあった。「吉良邸討ち入りの際、金属の下着を着ていたので、負傷しても傷が浅くなり、死者が出なかった。東郷平八郎が、この寺に来て"かたびら襦袢"の一部を"部下が無事帰ることができるお守り"として持ち帰り、日露戦争でバルチック艦隊に勝利した」と言われる。
47士全員の木像があった。顔が一つ一つ違うのは、内蔵助が討ち入りの前の生きている間に全員の顔をデッサンさせ、討ち入り後彫り師が彫ったという。東郷も内蔵助も部下思いの"仁"の将だった。
本堂には"願い事が一つだけ叶う"という大聖不動明王があった。内蔵助は毎日お参りをし、毎回"主君の仇打ちの成功"のみを願ったという。
10月9日の第30回日本肥満学会(静岡県浜松市)教育講演5は、川崎病院中村正副院長の「肥満と画像診断」で私が座長をする。
中村正先生とは、以前、日本動脈硬化学会理事長がされている「禅寺で修行している人達の健診」に協力したことがある。2月末日、特急雷鳥に乗り北陸地方のお寺に行った。近くの門前宿に泊まり午前5時、寒い中暗い雪道を2人でお寺に向かった。
修行中の人達が裸足で、冷たい廊下を歩いて集まって来られた。私が診察をし、中村正先生が採血をした。禅宗の食事は動物を摂取しない精進料理で、コレステロールを含んでいない。摂取カロリーが少ないのためか、太った方はおられなかった。禅寺の修行と同じ生活習慣をすれば肥満、高コレステロール血症を防ぐことができるかもしれない。