水滸伝とメタボリックシンドローム
2010年3月4日の日本経済新聞夕刊に「ひと脈々」「医療の梁山泊」「メタボを病気として究明」の見出しで記事が載った。
病院をバックにした松澤佑次住友病院長の大きな写真、その下に私と船橋徹阪大准教授の顔写真が載っていた。1980年代初めのCTスキャンで撮った画像を紙に焼いて内臓脂肪の部分を切り抜き、蓄積量を割り出していた時代から、アディポネクチンの発見まで、メタボに関連する人々の人脈が描かれていた。
1980年代、大阪市堂島川沿いにあった大阪大学第2内科循環器脂質研究室では、毎週火曜日夕方から松澤先生を中心に、酒を酌み交わしながら議論していた。「堂島梁山泊」とも呼べるようなものだったのかもしれない。
梁山泊は中国山東省の地名で近くに湖があり、中国四大奇書「水滸伝」の舞台となっている。水滸伝は水のほとりの物語という意味で、宋の時代、中国各地から108名の個性豊かな英雄豪傑が集まり活躍する物語で、リーダーシップのあり方、ビジネスマンの経営管理や人事管理に役立つ書だ。
日本では梁山泊は"アウトローの巣窟"を意味する言葉として使われている。大隈重信の私邸に伊藤博文、井上馨らが集まった「築地梁山泊」、豊島区トキワ荘に手塚治虫(大阪大学医学部出身)、藤子不二雄、赤塚不二夫らが住んでいた「漫画家の梁山泊」などがある。
3月7日大阪国際会議場で「日本健康太極拳2010関西の集い」が開催され、582名が参集した。特別講演は浅田隆奈良大学名誉教授の「大和しうるはし」で、明治以降の奈良文学について語られた。
坊っちゃん、こころ、草枕などの作品で知られる夏目漱石が、大阪の今橋3丁目(大阪市中央区)にあった湯川胃腸病院に一ヶ月入院されていたという。湯川胃腸病院の名誉院長は大阪大学第2内科出身で、夏目漱石が身近な人に感じられた。
高瀬舟、雁、阿部一族などの作品で知られる森鴎外は陸軍軍医の最高地位にまで上り詰め、隠居しようとしていたところ、周囲の人がもったいないと東京、奈良、京都にある帝国博物館(現国立博物館)総長になったという。
鴎外は大正7年から5年間、毎年奈良に来て、奈良50首を詠んでいる。「猿の来し官舎の裏の大杉は折れて迹なし常なき世なり」。前年奈良に来た時、官舎の裏にあった杉の木が、今年は跡かたもない。永遠の象徴のように見える大きな杉でさえも消えてなくなったと詠ったものだ。
漱石は49歳、鴎外は60歳で永眠している。いつの間にか、二人の文豪の年歳に達していた。この世に永遠不滅なものはないものか。