詩人ゆかりの街とメタボリックシンドローム
2010年10月2日、日本肥満学会ランチョンセミナーの後、垂井清一郎大阪大学名誉教授と、神戸の小田眞理子先生を案内して、歩いて前橋文学館に行った。
前日、日本肥満学会功労賞を受賞された垂井先生は83歳と高齢だが、お元気だ。中央商店街を北へ行き、地図を見ながら大通りを東へ進むと広瀬川があった。広瀬川沿いは緑に囲まれ、前橋で最も美しい所だ。上流に行くとすぐ、左手に前橋文学館があった。
前橋文学館に入ると、正面に萩原朔太郎像があった。舟越保武1955年となっている。「こんなところに、日本を代表する彫刻家の作品があるとは。素晴らしい像だ」と垂井先生は感動された。
2階までエレベーターを使わず階段で上がると、高齢男性の人が、私の肥満学会の名札を見て「どこから来られたのですか?」と聞かれた。「肥満学会に、大阪から来ました」と言うと、案内してくれた。
萩原朔太郎のお父さんは、大阪府八尾市出身で、東大医学部を出て、前橋で開業されていた。前橋には医者が多かったが、萩原医院は流行って、早朝から患者さんが並んだという。朔太郎が使っていた机と椅子があった。自分でデザインして、三越に特注して作ったという。机の側面には、花の模様も彫ってあり、朔太郎の美のセンスもうかがえる。
朔太郎の若い頃の写真があった。美男で鼻が高く、マンドリンを弾いている。音楽にも造詣が深く、群馬交響楽団の前身も朔太郎が作っている。朔太郎の代表作「月に吠える」の草稿もあった。
北原白秋が2度前橋を訪れた時、朔太郎は家の前に日の丸を揚げて、歓迎したという。三好達治も2度、草野心平も訪れている。前橋には詩人・俳人が多く、室生犀星も3年間、前橋に住んでいる。高村光太郎も2年間、赤城山麓に住んでいる。前橋の強い風、厳しい寒さといった自然の風土が詩人・俳人を多く生み出しているのだろか。
2階にも朔太郎像があった。「この作者の高田博厚はロダンの弟子だった人です。本当にいいところを案内していただいて嬉しいです」と作者の名前を見て、小田眞理子先生が言われた。美術にうとい私は、舟武保武も高田博厚も知らず、お二人の博識に感心した。
文学館を出て、再び、広瀬川沿いを歩いた。幹が緑青色になった大きなイチョウ、エノキ、ムクノキが立っており、広瀬川は豊富な水をたたえゴーゴーと流れていた。少し上流に行くと、交水堰があり、古い木製の水車が廻っていた。
帰りも、メタボリックシンドローム対策のためタクシーを使わず、学会場の前橋テルサまで歩いた。