マニラの夜とメタボリックシンドローム
2010年10月9日、夕食はペニンシュラホテル内にあるアジア料理店「スパイシズ」で、地ビールのサンミゲルを飲みながら、テールスープ、牛肉と豚肉の串刺し、ネット状の玉子焼きがのった焼きそばを食べた。
その夜、目が覚めると真夜中からテレビの大きな音がする。すぐに小さな音にするだろうと思って眠った。再び目が覚めたが、英語ではない大きな声のトークと、音楽がつづいている。ビル・ゲイツが滞在していた高級ホテルなのに防音装置がないのかと思いながら眠った。
「たいへんよ!ホラ見て!」という妻の声に、目が覚めた。カーテンの隙間から窓の外を覗くと、ホテル前の道路は群衆で埋め尽くされていた。青、赤、黄色のTシャツを着た人達が、闇の中で、煌々と光るライトに照らされている。ホテルが群衆で囲まれている。一瞬、歴史的な瞬間に立ち会っているのかと思った。
時計を見ると午前5時25分だった。ホテルの前だけで、2千人はいる。写真を何枚か撮ったが、ライトに邪魔されうまく写らない。アヤラ通りの向かい側にあるシャングリラホテルの人達も、カーテンの隙間から群衆を眺めている。スピーカーの大きな声に、時々「ウォー!」と歓声が上がっている。
ペニンシュラホテルの交差点にある横断幕の字を読むと、白地に黒の「START」の文字があり、暴動ではなく市民マラソンだとわかりホッとした。5時40分から、1分毎に約1000人がスタートした。次から次に人々が現れ、10組ぐらい約1万人がスタートし終わったのは5時50分だった。テレビをつけるとマラソンの中継をしており、「パシグ川マラソン10.10.10」となっていた。
10月10日午前、マニラで亡くなった大阪高槻城主の高山右近像を見て、サンチャゴ要塞に行った。眼科医で詩人のフィリピンの英雄「リサール」が幽閉されていた所だ。要塞から見下ろすパシグ川周辺は汚れていた。マラソンの参加費で、パシグ川をきれいにするという。
リサール公園に行った後、フィリピン文化センターの前を通った。アジアのノーベル賞と呼ばれるマグサイサイ賞の授与式がここで行われる。過去、日本人として平山郁夫画伯や緒方貞子らが受賞している。今年は、核軍縮の主要な提唱者として秋葉忠利広島市長が8月31日に受賞されている。
マッカーサーやビートルズが宿泊していたマニラホテルの前を通って、パシグ川マラソンのゴール地点「モール・オブ・アジア」に行った。
マニラは昼間蒸し暑く、夜から早朝でないとマラソンができない。日本は昼間でも戸外で運動ができるいい季節になった。