東日本大震災と心のケア
2011年3月30日、大阪ヒルトンホテル2階にあるブラッセリー「チェッカーズ」で、例年3月に行っている職場の懇親会があり、68名が参加した。
自粛ムードの中で、挨拶も乾杯も行わなかった。「東北の避難所はまだ寒いだろう」「東京の親戚は地震の日、新橋から20kmの自宅まで4時間30分歩いて帰った」「原発の影響は数年、数十年つづくかもしれない」「大阪ではミネラルウォーターや単一乾電池が手に入りにくくなっている」と、東日本大震災の話題が多かった。
「偽のチェーンメールが来た。匿名のものはニセ物が多いので注意しよう。アラブ諸国で革命が起こったのは、実名のフェースブックで情報が伝わったからだ」「一部テレビは犯人探しをして責め立てている。原発事故は人災の面もあるが、天災の部分が大きい」など庶民感覚は健全だ。
3月31日午後5時40分、伊丹空港滑走路の西側にある伊丹スカイパークへ飛行機を見に行った。1mはある大きな羽を広げた鳥が、2羽飛んでいる。紫、薄紫、白のジンチョウゲが咲いていた。15℃と、春の気候だ。南駐車場近くのウイングデッキに行った。飛行機の翼の形をし、幅61mの実物大で、床が木でできている。
ウイングデッキの手すりにもたれ、次々と離発着する飛行機を眺めた。この空港から震災翌日の3月12日午前6時50分、阪大病院からDMAT(災害派遣医療)チームが派遣され、自衛隊機で花巻空港へ向かい8時50分に到着、医療活動を行っている。
ヘリコプターが一機、上空を舞っていた。ドクターヘリチームも3月12日午前7時30分に福島県立医大に向けて出発、13時14分に到着し患者搬送などの医療活動を行った。肺炎・腸炎などの感染症や喘息、心臓病、糖尿病などの悪化した患者さんが多くなってきている頃だろう。医療者や自治体職員が過重労働で、バーンアウトしていないか心配だ。
阪神大震災の時は避難所生活でメンタル障害を起こし、救急車で運ばれてくる人もいた。心のケアも必要だ。
友人は「阪神大震災の時は半年後~数年後に自殺した世帯主が多かった。世帯主が自殺したのはローンをかかえながら借金をしなければならない経済的理由からだ。世帯主の心のケアは経済も絡むので、医療者だけでは解決できない。行政と国民が一体となって支援していかなければならない」と言っていた。
午後6時すぎ真っ赤な夕陽が西の空に沈んで行った。
東日本大震災から3週後、4月1日現在の死者は1万1578人、行方不明者は1万6451人、避難者は17万433人、福島第1原発で働いている勇気ある作業員は394人となっている。