桜前線と命のリレー
「もっとも被害の大きかった東北にも、もうすぐ春が訪れます。みなさんは、桜前線という言葉を、先生からもう習いましたか?桜の花が開く日を線で結んだものです。日本の国土は縦に細長いために、沖縄では例年1月上旬に開花宣言が行なわれ、その桜前線は、約半年をかけて、5月下旬に北海道の北端に到達します。自然がおりなす、素晴らしい命のリレーです。
自然は、今回の地震や津波のように、時に、私たちに厳しい試練を与えます。しかし、桜前線のように、私たちをやさしく包んでくれるのも、また自然の力です。みなさんも、どうか、思いやりのリレーのバトンを、被害を受けた地域の仲間に届けて下さい」と書いてあった。
4月10日、家族で京都へ桜を観に行った。午前10時30分、伊丹の自宅を出発。20.5℃と暖かい。
京都は花見シーズンで、大勢の観光客が歩いている。円山公園、知恩院、南禅寺あたりは大渋滞となり、大きな通りに面した駐車場や清水寺の駐車場は満車になっていた。
午後0時20分、秀吉を祀ってある豊国(とよくに)神社に行った。鳥居の前の桜は満開となっていた。正面にある金色を使った豪華絢爛な唐門(からもん)は西本願寺、大徳寺の唐門とともに、国宝三唐門の一つとなっている。
唐門の前の満開の桜の木の下では、神前結婚式をおえた花嫁さんが記念撮影をしていた。心地よい風が吹いてくる。戦国の乱世で、深い絆で結ばれた秀吉と糟糠の妻"おね"にあやかろうと、千成瓢箪(びょうたん)の縁結びの絵馬が、たくさんぶらさがっていた。片岡千恵蔵、月形龍之介、柳葉敏郎、衣笠祥雄らが書いた千成瓢箪も飾られていた。
豊国神社の隣にある方広寺に行った。方広寺は1586年秀吉により創建され、大坂冬の陣、大阪夏の陣の原因となった国家安康の鐘があった。この大梵鐘は重さ82.7トン、厚さ27cm、直径2.8m、高さ4.2mで、1614年に鋳造されている。
釣り鐘には1万1001字が書かれており、「国家安康」と「君臣豊楽」の文字の所が白い線で囲まれていた。徳川家康の家と康を分断したものとして、豊臣家滅亡を招いている。大梵鐘の内部には、秀吉の側室"淀君"の姿だという言い伝えがある模様があった。
桜前線の真っただ中の京都の街は、観光客で賑わっていた。去年咲いて散った桜の花は、今年も力強く美しく咲いていた。京都は1000年以上もの間、幾多の戦禍や天災を乗り越え、桜前線のように命のリレーで生き残っている。