八日目の蟬とメタボリック教室

2011年5月 7日

   201152日月曜日、封切り4日目の映画「八日目の蟬」を観た。原作は角田光代のベストセラー小説だ。

映画は、生後6カ月で誘拐された主人公恵理菜(井上真央)が、4歳の幼い頃の懐かしい小豆島の風景を見て、誘拐犯野々宮希和子(永作博美)と過ごした楽しい日々を想い出す。逃亡先の小豆島のあぜ道を、2人で松明(たいまつ)を掲げて歩いた顔写真が全国紙に載り、希和子は逮捕される。

 

53日からの3連休、広島県庄原市に帰省した。午前11時伊丹を出発、中国自動車道は大渋滞で、予定より6時間遅れの午後9時、ようやく庄原の実家に着いた。

いつもは2階の畳の部屋で寝るのだが、仏壇のある八畳の間で寝た。両膝が痛くて畳の部屋で立ち上がるのが難しくなったと話していたので、母はわざわざ私のために、簡易式の折り畳みベッドを購入してくれていた。

この部屋で寝るのは50年ぶりだ。仏壇の上の壁には、祖父母と父の遺影が並べて掛けてあった。床の間の柱の模様、松の図柄の欄間を眺めると、"八日目の蟬"のように昔の記憶がよみがえってくる。

小学校に入学する前、時々祖父母と一緒に1階のこの部屋で寝ていた。その頃はテレビも無く、ラジオからは祖父の好きな浪花節が流れていた。孫といっしょに寝る祖父母は、とても嬉しそうだった。花さかじいさん、因幡の白うさぎ、さるかに合戦などの昔話をしてくれた。

 

54日朝、廊下を通って久しぶりに歯科診療室に行った。技工室の入れ歯を作るための板は、やすりで擦れて半分になっている。ここで両親は、夜遅くまで技工をしていた。昼、花の好きな母を連れて、世羅高原にある「花夢の里」へ西日本一といわれる芝桜を見に行った。5万mに紅、ピンク、白、薄紫の芝桜が丘一面に咲いていた。

母が「福山市内で歯科を開業している姪が、メタボリック教室を持って、JR福塩線でわざわざ庄原まで持って来てくれた。『どうして私に言わんのんかね』と姪に聞くと、『勝人兄ちゃんは、恥ずかしいからお母さんには言っとってんないんじゃろう』と答えた」と言う。

メタボリック教室の第220段"癌と終末期医療"などがプリントアウトされ、ファイルにしてあった。母にも親戚にも内緒にしていたが、インターネットで全国に発信すると、"八日目の蟬"のように、知られてしまった。

東京帰りの最新の技術を持ったハイカラな女性歯科医も、いつの間にか88歳の現役高齢歯科医となっている。毎日、手を使って働いていることが、母の元気の秘訣だろうか。メタボリック教室のように、何日間かの記憶をまとめて書くことは、脳を活性化させ、認知症の予防になるかもしれない。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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