国際交流術とメタボリックシンドローム
日本肥満学会雑誌「肥満研究」にある門脇孝東大糖尿病代謝内科教授の巻頭言で、本音が書いてあり、興味深い。「2008年3月にジュネーブのWHOでメタボリックシンドローム診断基準コンセンサス会議が開催された。この会議の中で、ヨーロッパ主体のIDF(国際糖尿病学会)が腹囲を必須項目とする基準を取り下げ、NCEP-ATP3(米国)の基準に統一するという驚くべき変更がなされた。
私も会議に参加したが、私をはじめ多くのアジア各国の委員やカナダのDespres(デプレー)らは、腹囲を必須項目にするよう繰り返し主張した。"国際的統一"の大義名分の下、筋を曲げて、米国に対しIDFが屈服したのが真相と思われた」と書いてあった。
デプレーとは何度か話をしたことがある。1988年6月5日スウェーデンでのヨーロッパ肥満学会で、学会主催のクルーズをした時、私の名札を見て「Drトクナーガ」と話しかけてきた。私たちのCTスキャン法を用いて、肥満者の脂肪分布を研究していると言われた。
1990年10月18~20日、ホテルニューオータニ大阪で「脂肪分布異常」の国際シンポジウムが開催された。写真の右端が若き日のデプレー、中央はブシャール・カナダ肥満学会会長(1994年に5人目のヴィレンドルフ賞を受賞)だ。
懇親会で、内臓脂肪型肥満の診断に内臓脂肪面積の絶対値を主張するデプレーとV/S比(内臓脂肪面積/皮下脂肪面積比)を主張する私たちと激論になった。白い顔のデプレーの顔はみるみるうちに真っ赤になり、その迫力に思わずひるんだことがあった。
10月20日夜、デプレーと大阪ミナミの街を歩き、水掛け不動に行き、法善寺横町にある伊勢海老料理"えび家"で食事をした。
2005年5月の日本糖尿病学会で、デプレー教授の特別講演があった。左前方5~6列目に座っていた私に気付き、講演後、壇上から降りて私の所に来て挨拶され、とても嬉しかった。
国際社会で主導権をとるのは容易ではない。オリンピック誘致に関わった友人は「隣国がオリンピック誘致に成功したのは、普段から選考委員になるような人と人間関係を築いておいたからだ」と言う。
国際交流は10年、20年後に実を結ぶものなのかもしれない。デプレーは18年後、日本の味方になっていた。昨日の敵は今日の友、今日の友は明日への希望へとつながる。