国際交流術とメタボリックシンドローム

2011年9月 8日

   201196日、紀伊半島に記録的な豪雨をもたらした台風12号が去り、急に涼しくなった。

日本肥満学会雑誌「肥満研究」にある門脇孝東大糖尿病代謝内科教授の巻頭言で、本音が書いてあり、興味深い。20083月にジュネーブのWHOでメタボリックシンドローム診断基準コンセンサス会議が開催された。この会議の中で、ヨーロッパ主体のIDF(国際糖尿病学会)が腹囲を必須項目とする基準を取り下げ、NCEP-ATP3(米国)の基準に統一するという驚くべき変更がなされた。

私も会議に参加したが、私をはじめ多くのアジア各国の委員やカナダのDespres(デプレー)らは、腹囲を必須項目にするよう繰り返し主張した。"国際的統一"の大義名分の下、筋を曲げて、米国に対しIDFが屈服したのが真相と思われた」と書いてあった。

 

デプレーとは何度か話をしたことがある。198865日スウェーデンでのヨーロッパ肥満学会で、学会主催のクルーズをした時、私の名札を見て「Drトクナーガ」と話しかけてきた。私たちのCTスキャン法を用いて、肥満者の脂肪分布を研究していると言われた。

1990101820日、ホテルニューオータニ大阪で「脂肪分布異常」の国際シンポジウムが開催された。写真の右端が若き日のデプレー、中央はブシャール・カナダ肥満学会会長(1994年に5人目のヴィレンドルフ賞を受賞)だ。

徳永勝人デプレー.jpg懇親会で、内臓脂肪型肥満の診断に内臓脂肪面積の絶対値を主張するデプレーとV/S比(内臓脂肪面積/皮下脂肪面積比)を主張する私たちと激論になった。白い顔のデプレーの顔はみるみるうちに真っ赤になり、その迫力に思わずひるんだことがあった。

1020日夜、デプレーと大阪ミナミの街を歩き、水掛け不動に行き、法善寺横町にある伊勢海老料理"えび家"で食事をした。

20055月の日本糖尿病学会で、デプレー教授の特別講演があった。左前方56列目に座っていた私に気付き、講演後、壇上から降りて私の所に来て挨拶され、とても嬉しかった。

 

国際社会で主導権をとるのは容易ではない。オリンピック誘致に関わった友人は「隣国がオリンピック誘致に成功したのは、普段から選考委員になるような人と人間関係を築いておいたからだ」と言う。

国際交流は10年、20年後に実を結ぶものなのかもしれない。デプレーは18年後、日本の味方になっていた。昨日の敵は今日の友、今日の友は明日への希望へとつながる。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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メタボリックシンドローム

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