奈良県五條市・十津川村への思いと地域医療
台風12号の豪雨による奈良県五條市と十津川村の惨状が、連日テレビで報道されている。
このニュースを目にし、30年以上前の記憶が蘇った。奈良県南部への健診の募集があり、志願して十津川村と大塔村(現五條市大塔町)に5日間行ったことがある。
1975年9月8日午前9時50分、歯科医師、看護師、検査技師、事務員、運転手と公用車に乗って、伊丹市にある公立学校共済組合近畿中央病院を出発した。阪神高速を堺で降り、河内長野から和歌山県橋本市を通って奈良県五條市に入った。舗装されていない泥道を土埃にまみれ、ダンプの群れを縫い、車に揺られながら南に向かった。
十津川村に入り、谷瀬の吊橋を見学。奈良県南端の十津川温泉にある"えびす荘"に到着したのは午後4時15分だった。一軒しかみやげもの屋がなく、そばと味噌漬を買った。奈良県教育委員会の2人も加わり、夕食を食べた。
9月9日、午前9時から午後3時まで平谷小学校で44人の健診を行った。十津川の夜は灯りがなく真っ暗になる。黒くよどんだ湖に向かい、堤防に肘をかけて佇んだ。深くきり立つ山が湖をつつむ。空には天の川、西の空に三日月が傾く。北の空から南の空に、流れ星が流れて消えた。クラクションが静寂をくずし、私は現実に戻った。
9月10日、小原小学校で67人の健診を行った。その後、温泉地温泉にある"十津川荘"に宿泊した。夜は歯科の先生と囲碁をして楽しんだ。
9月11日、二村小学校で数十人、風屋で40人の健診を行った。都会に比べ、健康的な人が多い。水かさの減った十津川の砂利の上を、車の中に川の水が入ってエンストするのではないかとヒヤヒヤしながら横切った。大きな川を車で対岸に渡ったのは、私の人生でこの時だけだ。大塔村の幹線道路沿いにある宿に泊まった。昔懐かしい五右衛門風呂だった。夜は文庫本を読んで過ごした。
9月12日、大塔中学校で81人の健診を行った。徐脈、血圧の低い人が多い。仕事を終え、午後1時20分に大塔村を出発、7時45分近畿中央病院に着いた。
あの頃の十津川村・大塔村は、私の故郷と同じく、のどかな日本の古き良き風景があった。だが、医療に関しては、とても十分とはいえなかった。36年後の今も、十分とはいえないだろう。メディアを通し、改めて、地域医療の大切さ・難しさを考えさせられた。