第48回日本糖尿病学会近畿地方会とシーラカンス
2011年10月29日、大阪国際会議場で第48回日本糖尿病学会近畿地方会(花房俊昭会長)が開催された。近畿地方会の会員数は糖尿病の増加とともに年々増え3549人となり、昨年の参加者数は1922人だった。
病院勤務の後輩医師がプログラム・抄録集を見て「花房先生らしい表紙ですね、医師とコメディカル(看護師、栄養士、薬剤師、検査技師)と患者が手をつないで。序文も患者からの立場で書いてあり、実家がお寺という感じがします。花房先生はシーラカンスのように、阪大2内の頃とまったく変わっていないですね」と言う。
表紙には10体のお人形さんが手をつなぎ、円を作っている姿がカラフルに描かれていた。ご挨拶には「糖尿病診療においては、患者と医療関係者がともに力を合わせ、互いに成長することがもっとも大切だと思います。両者がともに学び、ともに歩み、そしてともに喜べる時代を創りたいと願っています」と書いてあった。
花房教授は阪大1975年卒で、私の1年後輩にあたる。1978年に2内に入局した垂井内科の一期生になる。第2内科は"老舗の料理店"に例えられていた。老舗の料理店は外から見ると華やかさはないが、中に入って料理を食べてみると美味しい。
阪大2内の大先輩が「典型的な第2内科人間は金山良男君(現市立芦屋病院長)、徳永君、篠村恭久君(現札幌医大第1内科教授)、花房俊昭君(現大阪医大第1内科教授)、藤岡滋典君(現日本生命診療所長)だ」と言われたことがある。
おっとりとしていて野心がなく、地方にいれば臨床医・知識人として頼りにされ、名士と呼ばれそうな人達である。
後輩医師は「表紙の色もオシャレですね。研究室の女性秘書が『花房先生はダンディだ。ランニングシャツを着ず、素肌の上に直接カッタ―シャツを着ている』と噂していました」とつづける。
表紙の色は濃淡のある薄茶色で、ネームプレートも同じ色で統一してある。私も阪大2内時代、素肌の上に直接ボタンダウンのカッターシャツを着ていたが、40歳の冬に風邪をひいて高熱を出し、それ以来アンダーシャツを着るようになった。
当時、2内医局秘書たちは140人いる医局員の品定めをしていた。恋人にしたいナンバー1は松澤佑次講師で、理由は"話をしていると楽しい"だった。結婚したいナンバー1は私と山下静也助手で、理由は"無難そうだから"だった。
阪大2内は大内科だったが、臓器別内科になり内分泌代謝内科・循環器内科・消化器内科・血液内科・神経内科に5分割された。第2内科の古い時代を引き継いでいる花房教授と私は、消滅した阪大2内のシーラカンスのような存在なのかもしれない。