京都松花堂庭園の食・紅葉と幸せの連鎖
2011年11月23日祝日、松花堂弁当発祥の地、京都府八幡市松花堂庭園に行った。
午前10時自宅を出発、名神高速道の大山崎インターで下り、11時に松花堂庭園に着いた。松花堂庭園は江戸時代の初期、岩清水八幡宮の社僧で文化人として知られる松花堂昭乗(しょうじょう)が建てた広大な庭園だ。
入り口付近に志賀直哉、谷崎潤一郎、吉井勇らが訪ねたと看板があり、正面の木は紅、朱色に紅葉していた。石畳を歩いた。右手には黒い色をしたクロチク、亀の甲羅の形をしたキッコウチクなどの竹林があった。40種類の珍しい竹があるという。池では白、黒、朱色の大きな鯉が泳いでいた。
庭園茶室梅隠の前に水琴窟(すいきんくつ)があった。水琴窟は手水鉢の近くにあり、竹筒に耳をあてると、キキンコンカンと高いよい音色が聞こえた。茶室松隠、茶室竹隠、女郎花塚から昭乗が暮らしていた草庵茶室松花堂、書院に行った。黄色や橙色の紅葉がきれいだ。京都の冬はかじかむように寒い。ひっそりとした庭園は、緑色に苔むしていた。
庭園の敷地内にある松花堂美術館へ行った。松花堂昭乗は書道・絵画・茶道に堪能で、生涯の友に小堀遠州や狩野探幽らがいる。松花堂昭乗は漆を塗った四つ切りの箱を、たばこ入れや絵の具の物入れとして使っていた。昭和初期に料亭吉兆の創始者・湯木貞一が持ち帰り、四つ切箱をヒントに懐石料理を盛り付け、世に出されたのが松花堂弁当の始まりとされる。
昼食を庭園内にある京都吉兆・松花堂店で食べた。松花堂弁当は漆器が4つに仕切られ、右上はお造り、左上はごぼうを鰻で巻いた"八幡巻"など8品、左下は煮野菜が5品、右下は蒸したご飯だった。枝豆も煮てあり、味付けが凝っている。吸い物には、れんこんもちの揚げ出しと海老しんじょうが入っていた。
京都吉兆店内の窓から、庭園の松の木や紅葉が見える。44の椅子席は中高年女性で満席になり、男性客は2人だけだった。不機嫌な顔の人はなく、幸せそうに談笑している人が多い。この地が幸せな人を呼ぶのだろうか。はたまた、幸せな人が幸せな人を呼ぶのだろうか。
今年8月19日、ウエスティンホテル大阪での食事会で、初対面の人から「先生は1日のうち、口元が笑っているのではなく、目元が笑っている時間はどれぐらいありますか?」と聞かれたことがある。25周年を迎えた「Tの会」トップツーの顔も、思い浮かべるといつも目元が笑っている。笑顔で幸せそうに生きている人の所に、人は自然と集まってくるように思う。
肥満が遺伝や食習慣によって親から子へ連鎖するように、幸せは笑顔によって人から人へと連鎖するものなのかもしれない。