映画「三丁目の夕日」と父と子の愛
2012年2月12日、西岸良平原作の映画「ALWAYS三丁目の夕日'64」を観に行った。
午後0時、映画館内は私と同年代のカップルや女性グループが大部分だ。映画は東京オリンピックがあった1964年の東京を舞台として、心温まる人情模様を描いている。1964年は、私が中学3年生の時だ。
映画は2つの"父と子の愛と葛藤"がストーリーの大きな柱の一つとなっている。茶川林太郎(米倉斉加年)の子・茶川竜之介(吉岡秀隆)への愛、竜之介の養子・古行淳之介(須賀健太)への愛が描かれたシーンでは、すすり泣く観客の声が聞こえてきた。
東京オリンピックでは、国立競技場の大歓声の中、ヒートリーとデッドヒートを繰り広げ、後に「父上様母上様三日とろろ美味しうございました。・・」と書き残し、若くして逝ったマラソンの円谷幸吉選手が印象深い。
午後4時帰宅し、中学時代のアルバムを見た。父と2人で、中学1年の時は東京・日光・箱根へ、中学2年の時は大阪へ旅行をしている。カラー写真は一枚もなく、映画の中でカラーテレビが来たと大騒ぎしているのもわかる。当時の子供はランニング姿が多く、映画の時代考証もよくできている。
写真は自宅の庭で撮影したもので、庄原中学校の生徒はみんな丸坊主だった。父はこの庭に、私の腕を鍛えるため、高い鉄棒と低い鉄棒を作ってくれた。おかげで、逆上がりもできなかった私が懸垂を20回もできるようになり、走るのはクラスでビリだったが腕相撲は一番強くなった。
その夜、亡き父のことを想い出し、目が覚めた。父の遺品を整理していたら、「NHK勝人出演ビデオ」と書いた段ボール箱が出てきた記憶が蘇えった。箱の中には、NHK土曜フォーラム"これが私の健康ダイエット"など、VHSの録画ビデオがたくさん入っていた。父は私が肥満研究をつづけることに反対しながらも、出演しているテレビを録画していた。
映画に出てきた林太郎も、竜之介が小説を書きつづけることに反対していたが、息子が執筆した"冒険少年ブック"を買って本棚にきれいに並べていた。林太郎も父も同じように、息子を遠くから見守っていてくれたのだ。林太郎と父の姿が重なって涙がとめどなく流れた。
父と子の関係は、母と子の関係よりも複雑なものに思う。"父と子の愛と葛藤"は、小説や映画の永遠のテーマになり得よう。