鎌倉の食・街歩きと西暦2525
2012年3月19日、東京からJRで鎌倉駅に行き、神奈川県鎌倉市七里ヶ浜の高台にある「鎌倉プリンスホテル」208号室に宿泊した。
午後5時40分、眼下に相模湾が広がり、荒波が打ち寄せてくる。正面に伊豆大島、右手に江の島が見える。江の島は、藤沢市辻堂に住む高校のクラスメートの家に泊めてもらった時、自動車で案内してもらったことがある。
午後8時、ホテルに隣接する「御曹司きよやす邸」で、湘南純米吟醸を飲みながら、湘南魚貝サラダ、鎌倉豆腐の揚げ出汁、湘南獲り地蛸の唐揚げ、自家製湘南しらすしゅうまい、綾瀬豚と鎌倉地野菜のせいろ蒸しを食べた。
3月20日、午前7時30分起床、ベランダから東を眺めると、江の島の向こうに、伊豆半島、箱根、そして富士山がくっきりと見えた。富士山は乾燥した冬、3月頃までが見頃だ。
ホテルから巡回バスで「七里ヶ浜駅」に行き、江ノ電で鎌倉へ行った。報国寺(竹寺)と建長寺を見学する予定だったが、彼岸(ひがん)で駅前のバス・タクシー乗り場は長蛇の列になっていた。小野町通りを歩いていると、鶴岡八幡宮に着いた。
ここに来るのは大学2年の時以来43年ぶりだ。1969年9月13日土曜日、泊めてもらっていたS君の下宿(横浜市金沢文庫)から、バスに乗って来た。S君とは、学園紛争で休校中の1969年8月、1ヶ月間ECCで同じクラスだった。
写真の左端が私で、隣で体を曲げているのがS君だ。多くの人との出会いは、人生を豊かにする。
鶴岡八幡宮に来ると、1969年当時流行っていた由紀さおりの「夜明けのスキャット」や、ゼーガーとエバンスの「西暦2525」を想い出した。「In the year 2525, ・・」と自然に、昔の歌が蘇えってくる。
「西暦4545年、歯などある必要もなく、目も必要がなくなる。噛まなくてはいけないものはなくなるし・・」まさに、現代の若者は柔らかいものを食べて噛むことが少なくなり、顎の細い顔になっている。
「西暦5555年、腕は動かず横に垂れたまま、脚は何もすることがなくなる。機械が代わってやってくれる」43年後の今、自動車・エスカレーターなどの発達で、歩くことが少なくなり脚力が弱っている。今から考えると、未来を予言するような歌だった。
視覚や聴覚の過去の記憶は、脳の中の回路でつながっているのだろうか。青春時代の想い出が、当時見た景色や流行した歌で蘇えってくる。