大阪大学待兼山キャンパスの食と陽だまりの樹
2012年3月3日、大阪大学豊中キャンパス内にある待兼山修学館で、学士会「大阪大学総合学術博物館見学会」があった。
午前10時10分自宅を出発、国道171号線を通ってサンディ145号石橋店の向かいにあるタイムズ駐車場に車を止め、阪大キャンパスに向かった。阪大待兼山(豊中)キャンパスには、教養部時代の1968年から2年間通っていた。
待兼山修学館はイ号館に次いで2番目に古い建物で、国の登録有形文化財になっている。イ号館では数学・化学を、ロ号館では物理・生物・哲学・経済・英語・ドイツ語を学んだ。
午前11時から、江口太郎大阪大学副学長による講演があった。「待兼山からは45万年前のマチカネワニが出土し、待兼山は1000年前の枕草子にも出てくる。阪大は1724年創設の懐徳堂と、1838年蘭学者・緒方洪庵によって創設された適塾が基となってできている。適塾はわずか25年間だったが、637人の塾生を輩出した。阪大医学部出身の手塚治虫の曽祖父も適塾生だった。手塚治虫の"陽だまりの樹"は曽祖父をモデルにしたものだ」と話された。
ポカポカ陽気の中、待兼山修学館の屋上に行くと、標高77.3mの待兼山の森の中から、ピーピー、チッチッと小鳥のさえずりが絶え間なく聞こえてきた。「津の国の待兼山の呼子鳥、鳴けど今来といふ人もなし(古今和歌六帖)」など、待兼山は歌枕として使われている。
待兼山修学館2階には、適塾生の福沢諭吉・大村益次郎・大鳥圭介・橋本佐内らの写真と、637名の名前・出身地が書いてあった。最も多いのは山口県で56人、次いで福岡県55人、岡山県46人と中国地方や九州地方出身者が多い。広島県は6番目に多い31人で、大阪府は手塚治虫の曽祖父を含め19人だった。
大阪市中央区北浜にある適塾は都心とは思えないもの静かな所で、中庭があり、春夏秋冬それぞれ異なる趣がある。奥の2階には、塾生たちが昼は勉学に励み、夜はぎゅうぎゅうずめに横になって寝た畳の部屋がある。"陽だまりのある日"には、その部屋に時々行き、のんびりとした時間を過ごしたものだ。
待兼山修学館1階にある学食で、500円のプレートランチを食べた。主食はスパゲッティかピラフ、副食はチキン・ポーク・ピーフから選べるようになっている。42年前の"きつねうどん"の時代から、ずいぶんとモダンになっている。記念に阪大の銀杏ロゴ入りネクタイを買った。
近くに古本屋が2軒あり、"阪大教科書あり"の張り紙があった。阪大教養時代には、トルストイの戦争と平和、ヘルマン・ヘッセの車輪の下に、魯迅の阿Q正伝、スタンダール、ロマン・ロラン、ニーチェなどを読んでいた。今の学生は、どんな本を読んでいるのだろう。