JR西日本各駅停車の旅と敦賀ムゼウム

2012年5月12日

    201256日、ゴールデンウィーク最終日、JR西日本各駅停車の旅に出た。

午前945分小雨の中、自宅を出発、市バスでJR伊丹駅に行った。目的地を決めず、ICOCAで乗車、JR福知山線・東海道線で東に向かった。

 

琵琶湖が見たくなり、京都山科駅でJR湖西線の近江舞子行各駅停車に乗り換え、北に向かった。新幹線や特急列車に乗るより、各駅停車の方が景色や駅の看板がよく見える。右手に琵琶湖、左手に緑の比良山系の眺めがいい。

日本海が見たくなり、近江舞子から敦賀行で、"鉄道と港のまち"福井県敦賀市に行った。敦賀駅は自動改札がなく、伊丹駅からの料金を支払った。

 駅の人に敦賀の食を聞くと、「ソースかつ丼と地元敦賀で採れた魚」だそうだ。駅前の食事処で、刺身定食を食べた。小さな"するめいか"の酢の物、刺身はワラサと鯖と鯵だった。

雨も上がり、いい天気になったので、敦賀駅のパンフレットにあった「敦賀ムゼウム:杉原千畝資料館」に行くことにした。

 

午後225分、"ぐるっと敦賀周遊バス"に乗った。駅前のシンボルロードには、松本零士作の銀河鉄道999のモニュメントが16体、宇宙戦艦ヤマトのモニュメントが12体、立ち並んでいた。

気比神宮を通り、金ケ崎緑地でバスを降りると、すぐ前にエンジ色をした三角屋根の敦賀ムゼウムがあった。敦賀港に面しており、近くに赤いレンガ倉庫が2棟立っている。

 

ムゼウムはポーランド語でミュージアムのことだという。第2次世界大戦中、リトアニア領事代理だった杉原千畝(ちうね)は、ポーランド難民たちへの日本通過ビザの発行を巡って、日本政府と対立し悩みつづける。19407月、人道的立場からビザの発行を決断、腕の痛みを我慢して書きつづけ、発給したビザのリストは2132にのぼる。1家族3人として6000人になる。

 カウナス(リトアニア)から敦賀港までは14日かかる。モスクワに着いてからも、ポーランド難民の苦難の旅はつづく。モスクワからウラジオストクまではシベリア鉄道で9297kmあり、途中、貴金属や時計を奪われ、何人もの青年は強制労働に連行されている。

 敦賀は杉原千畝の「命のビザ」を手にしたユダヤ人6000人が上陸した日本で唯一の港で、「人道の港」と呼ばれている。敦賀ムゼウムの館外に出ると、青い空に白い雲、敦賀港の囲む緑の山々が、生き生きとして見えた。

 帰りの列車の中、命からがら逃げたポーランド人に比べ、平和で自由な日本に生まれ育ったことに感謝した。スピード、スピードと余裕のない時代、各駅停車の旅をして、いろいろなものを感じることができた。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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