庄原上野公園の桜と庄原焼き
2012年4月28~30日の3連休、広島県庄原市の実家に帰省した。
4月28日午前11時50分、自宅を出発、中国縦貫道沿いには山桜やうす紫の藤の花が咲いていた。午後4時40分、庄原上野公園に着くと、上野池周辺の桜並木は葉桜になっていた。
4月29日午前9時10分、庄原の実家を出発し、1年前に亡くなった広島の叔母の家に行った。従兄妹が今年4月17日に庄原上野公園に行き、桜を撮影していた。写真は弁天島付近で、桜祭りのころはぼんぼりが点灯し、夜桜は今も西日本一と言われている。
ボートが写っている。高校時代の庄原の娯楽といえば、映画と上野池のボートぐらいだった。高校1年の春、1966年3月13日午前10時30分に試験が終わり、クラスメート4人で上野池に行くと、ちょうどクラスの女子4人が来ていて、いっしょにボートに乗った。翌日、4人で映画館に行き、加山雄三の"エレキの若大将"を観た。
子供のころ桜の季節になると毎年、祖父母・父母・親戚などみんなで、上野池に行き花見をしていた。写真は1954年4月、私が4歳の時のものだ。右が祖父(メタボ教室第220段「癌・終末期医療」)、私を抱いているのが亡くなった叔母だ。
4月30日午後0時30分、庄原市役所前にある元祖庄原焼き「お好み家ほっ!」に行った。庄原焼きは、そば・うどんの代わりに、庄原産の米を使った醤油味の焼きおにぎりが入っている。
そのまま、ポン酢をかける、青ねぎ・紅生姜・マヨネーズ・梅のトッピングをかける、の6種類の味を楽しむことができる。店主に「ポン酢をかけるアイデアはどこから生まれたのか?」と聞くと、「ポン酢をかけて食べたら、あっさりして美味しかったから」ということだった。
私が小学校に入る前、1950年頃のお好み焼きは、店の人が鉄板の上で水に溶いた小麦粉を薄く円く伸ばし、モヤシをのせるだけだった。今も、客が作るのではなく、店の人が作ることに変わりはない。
庄原のお好み焼きは、関西風お好み焼きとはちょっと違う。粉文化の大阪は生地との一体感を大切にしているのに対し、庄原焼きはモヤシ・キャベツ・豚肉・玉子の素材の旨みを引き出すようにしているのが特徴だろう。