JR西日本各駅停車の旅と福知山街歩き
2012年10月20日土曜日快晴、JR西日本各駅停車の旅に出た。
午前10時自宅を出発、市バスでJR伊丹駅へ行った。いつもJR福知山線で、大阪方面に向かっている。今日は逆方向で、一度行ってみたかったJR福知山線の終点"福知山"に行くことにした。
篠山口まで1時間、新鮮な光景がつづく。沿線には黄色い柿がなり、ピンク・白・薄紅色をした秋桜(コスモス)が咲いていた。篠山口駅では鉄ちゃんや鉄女が、特急「こうのとり」を撮影していた。
篠山口から2両編成のワンマンカ―で1時間かけ福知山駅に着いた。観光案内所前には、「明智光秀、細川ガラシャ、細川幽斎、細川忠興をNHK大河ドラマ化へ」と、のぼりが立っていた。来年のNHK大河ドラマの主人公は、秀吉の名参謀だった黒田官兵衛(メタボ教室第339段「黒田官兵衛ゆかりの街」)に決定している。
駅前の割烹「丹波茶屋」で"光秀ご膳"を食べた。日本海の旬の魚を使ったカルパッチョ、地元の季節野菜をふんだんに使った料理で、丹波産の蕎麦はプチプチ感があった。福知山は、朝廷や幕府に食糧を供給していた恵みの産地だ。
"まちなか循環路線バス"の一日乗車券300円を買い、市立福知山市民病院、厄除神社、光秀を祀った御霊(ごりょう)神社を巡り、福知山城に行った。昇龍橋はアーチ形をした大きな橋で、上に登るまで45段あった。雲一つない青空のもと、心地よい風が吹き、橋の頂上からは、のどかな街が一望できた。
福知山城の石垣は、端一列は6面体だったが、大部分の石は未加工で多面体だ。4角柱の石をよく見ると文字が書いてあり、墓石が使われている。地元の人に聞くと「織田信長の命を受けて初代城主となった明智光秀が、抵抗する寺社を打ち壊し、墓石や石仏、五輪塔などをみせしめのために石垣に使ったと伝えられている」という。
光秀はいやいやながら信長に従ったのか、それとも光秀自身が寺社を嫌っていたのか、本能寺の変にもつながるエピソードではないかと思った。
天守閣は4階まであったが、階段の幅は広く、歩きやすいように、ゆったり作ってある。福知山城天守閣からは由良川、山陰本線が見え、周りが全て山に囲まれていた。
帰りも各駅停車に乗った。いつの間にか、ぐっすり眠っていた。篠山口から栗をたくさん持った人達が乗り込んできて、現実世界に舞い戻った。
散歩にいい季節となった。日光を浴びながら歩くと、ビタミンDが皮膚で合成され、骨粗鬆症や骨折の予防になる。見知らぬ街を歩くのは楽しい。福知山は明智光秀ゆかりの街だった。