13回忌法要と西城川の鮎
2012年10月6~8日の3連休、父の13回忌法要のため、広島県庄原市に帰省した。
10月6日午前9時30分自宅を出発、庄原に着き日赤病院の前を通った。この病院で父が亡くなった時のことをメタボ教室第22段「終末期医療」に書いた。これを月刊現代の取材で来られた高橋繁行氏が読まれ、「看取りのときーかけがえのない人の死に向き合う(アスキー新書:35,36ページ)」に引用されている。
10月7日午前11時、お寺さんが来られ、お経を唱えていただいた。親族一同で、お墓に参り線香をあげ、送迎バスで、庄原市口和町にある源泉かけ流し温泉「鮎の里公園・高瀬の湯」に行った。西城川に面しており、ロビーには琴欧州など力士の色紙がたくさんあった。庄原へ相撲巡業に来た時、50人が宿泊したという。
鮎会席で、最初にアユの塩焼きが出てきた。脂が見えず、天然ものだ。養殖鮎は脂肪含量が10.4%と多いが、天然鮎は5.5%と少ない。父は清流・西城川の天然アユが好物で、特に、石に生える水苔・珪藻を食べて緑色になった内臓が好きだった。巨人の長嶋・王が広島市民球場に来た時は、庄原西城川の鮎が献上されていた。
鮎釜めしも美味しい。仲居さんは、口和の小中学校で、歯科医をしていた父や母に歯科検診を受けていたという。父は長年、校医をしたことで、勲五等瑞宝章を受章している。
夜、母が手紙を持ってきた。私が小学校1、2年生の時の担任だった恩師の奥さんから、母へのものだった。「ご無沙汰しております。先生が13回忌だとお聞きました。私方は主人の7回忌を行いました。勝人先生の御活躍を、亡主人とともに喜んでおりました。あの時、頂いた新聞を大切に保存しています。又お目にかかって、よも山話がしたいものですね。10月3日」と書かれていた。
手紙には1987年4月29日の新聞記事が同封されていた。25年間も保存していただいていたことに感謝した。感謝の気持ちを直接伝えたく思い、母と恩師の家に伺うことにした。
10月8日、西城川を渡り、1時間迷いながら、小学時代の恩師の家を訪ねた。91歳になられる夫人は、とても元気だった。ちぎり絵をされていて、私の干支"牛"のちぎり絵 表示をいただいた。手を使っての創作活動が、元気の秘訣のように思えた。
小学時代の恩師の本棚には、古事記、徒然草、方丈記などの古典がぎっしり並んでいた。担任だった先生の頭の中にあった古典などの知識が、知らぬ間に入ってきていた。今は亡き恩師に、感謝の意を伝えたい。