近畿広島県人会と八岐大蛇伝説
2013年6月9日、ホテル大阪ベイタワーで「近畿広島県人会創立130周年記念総会」が開催され、320名が参加した。
午前11時30分、湯﨑英彦広島県知事は、「昨年はNHK大河ドラマ"平清盛"があり、宮島や呉音戸の瀬戸の観光客が増加し、広島県の年間観光者数は過去最高となった。大阪うまいもの博で"庄原のお米"が2年連続、1位に輝いた」と挨拶された。
大阪難波の駅近くの店や、庄原市の食堂の前に"庄原のお米使用"と書いてあったのは、そのためか。庄原は米も水もいいので、庄原の酒も牛も旨い。庄原の酒は灘の酒にブレンドされ灘の酒として、比婆牛は広島牛として販売されている。
アトラクションは安芸高田市高猿神楽団による神楽「八岐大蛇(やまたのおろち)」だった。須佐之男命(スサノオノミコト)が、八頭八尾の巨大な大蛇を退治する物語だ。豪華絢爛な衣装をまとった須佐之男命と、大蛇との迫力満点の立ち回り 表示が、40分にわたって繰り広げられた。主人公を演じた人は汗びっしょりで、インタビューに「総合病院の技師をしています」と答えられていた。伝統文化は、民間で継承されている。
奥出雲にも八岐大蛇伝説があるようだが、比婆(現庄原市)にも八岐大蛇伝説があり、庄原格致高校時代の1965~1967年、文芸誌「砂鉄」 表示を発行していた。庄原は砂鉄の産地で、日本刀も砂鉄から作られている。砂鉄から鉄を作るには、三日三晩つづけて炎で鉄を溶かさなくてはならない。「炎や鉄で真っ赤になった曲がりくねった谷が、大蛇のように見えたのではないか」と言い伝えられていた。
高校2年の時に私が使っていたペンネームは白丘陽邦 表示 だった。丘の字は映画女優の丘さとみと浅丘ルリ子から、邦の字は漢文の「項羽と劉邦」からとった。文芸誌"砂鉄"の印刷費用は、商店や歯科医院などからの広告 表示によった。
東京広島県人会の大竹美喜会長(庄原市出身)も来ておられ、名刺交換をした。東京広島県人会は日本最大の県人会で、東京では1000人が参加されたという。大竹会長は「庄原市の濁川の奥に住んでいた」と言われた。砂鉄から鉄を作るとき、大量の土を使うため川が濁る。濁川という地名は、土で川が濁っていたため、名付けられたものかもしれない。
庄原は、内田康夫の小説「後鳥羽伝説殺人事件」の主要な舞台にもなり、平家の「敦盛さん」が民謡となって、唄い踊り継がれている。
庄原市は、お米・酒・和牛などの特産品とともに、八岐大蛇伝説・ピラミッド伝説(葦嶽山)・平敦盛伝説・後鳥羽上皇伝説・ヒバゴン伝説など伝説の町としてもPRすればよいと思った。