お盆帰省と森蘭丸のY遺伝子
2013年8月16~18日、広島県庄原市にお盆帰省した。
8月16日午前10時45分、36℃の猛暑の中、伊丹の自宅を出発。夕方、庄原のお墓で"送り火"をした。
8月17日午前、「食彩館庄原ゆめさくら」で、"どんぐりコロコロ豚"を8パック買った。庄原商工会議所と県立広島大学が共同で開発したもので、どんぐりを餌に、里山で飼育している。不飽和脂肪酸の比率が高く、より低温で脂肪が溶ける。
昼、庄原市川北町にあるイタリアン「来里(くるり)」で、パスタとピザを食べた。山を背にした古民家を改造したレストランで、土間を椅子席にしてオシャレだ。庭の草がラベンダーのような香りがしていい。
午後、三次市作木町布野に行き、試食して一番甘くて美味しかった赤ナシの"長寿"を2箱購入。庄原市板橋町一ツ木に戻り、庄原産チーズ専門店「乳ぃーズの物語」で、"モッツァレラ"と瓢箪の形をした"カチョカヴァロ"を買った。
8月18日、父の遺品のアルバムを見た。学生時代の写真
表示には、Hisato Komotoと英語でサインがしてある。父は、「アメリカを相手に戦争すると負けること」を知っていた。軍隊
表示に召集されたのち、小学校の教師
表示をしている。写真
表示は庄原小学校で、ここの教室で400人の原爆被爆者が看病され、100人が亡くなっている(メタボ教室71段「はだしのゲン」)。
父(甲元久人)の実家は三次市吉舎町安田で、祖父は村会議員をしていた。父は7人兄弟の5男で、徳永家に養子に来た。父の実家の祖先は森蘭丸(1565~1582)の兄で、「馬洗川(日本海に注ぐ江の川の支流)より西に行け」と命じられ、岡山県美作から広島県三次市の馬洗川の西岸に移り住んでいる。
森蘭丸は、織田信長に寵愛されていたが、本能寺の変により享年18歳で、この世を去っている。Y遺伝子は父親から息子に伝わる。父と私は、森蘭丸と同じY 遺伝子を持っている可能性が高い。森蘭丸のY遺伝子は、どんな特徴を持っているのだろうか。
森蘭丸は、信長にも媚びることはなく、相手が誰であろうと間違ったことは、はっきり指摘する性格だったという。父も森蘭丸と同じく、どんな人に対してもへつらうことはなく、自分の考えを堂々と主張していた。
森蘭丸は、"信長の爪"の逸話にもあるように、几帳面だったようだ。私も机の上は片づけ、本や書類は年代順に本棚に縦にきちんと並べるなど几帳面なところがある。大将ではなく、側近として力を発揮するところも、私と似ているかもしれない。
お盆は、祖先を想い起こす日だ。父と母、祖父母、その両親、・・と誰が欠けても、私は生まれてこなかった。命を大切にしたい。