米国グレンデール市の食とハロウィン
2013年10月30日仕事帰り、伊丹イオンシティに寄った。
午後6時、おもちゃ屋さんやスーパーの前には、カボチャなどハロウィングッズが飾られている。ハロウィンを知ったのは1983年、米国カリフォルニア州グレンデール市に住んだ時からだ。
ハロウィンの10月31日には、毎年50~60人の仮装した近所の子供たちがやって来るので、お菓子を用意していた。私の子供たち
表示も仮装して近くの家に行き、チョコレートなどお菓子をたくさんもらってきていた。
午後7時、帰宅すると夕刊第1面に「米グレンデール市」の見出しの記事が載っていた。グレンデール市はロサンゼルス市の郊外にあり、治安がよく、日本からの駐在員・学校の先生・医師など日本人が多く住んでいた。
グレンデール市の中心部には、5つのデパートと270の専門店が入っている大型ショッピングセンター"グレンデールギャラリア"があり、フードコートの周囲にはメキシコ料理、日本料理、韓国料理、中華料理、インド料理など世界各国の店が並んでいた。
家の近くのスーパー"セイフウェイ"にはオリエンタルフーズのコーナーがあり、魚屋さんが週に一度、アパートの前まで行商に来ていたので、日本食を毎日食べることができた。グレンデール市で最も人気があった日本食は、吉野家のビーフボウルだった。牛丼の肉が見えなくなるまで紅生姜をのせ、食べている人も多かった。
テレビでは、「グレンデールはロサンゼルス市の北にある人口19万人の近郊都市で、アルメニア人が9万人、韓国人が1万5000人、日本人が1万数千人いる。韓国人とアルメニア人を合わすと、過半数を超える」と伝えている。
30年前に比べ、アルメニア人(旧ソ連)が随分増えている。アルメニア人とは家族ぐるみの付き合いをし、自宅
表示に招かれ、何度かアルメニア料理(ライスとビーフをキャベツで包んだもの・豚足スープを固めたものなど)をご馳走になった。「アルメニアは周辺諸国に絶えず迫害され、ユダヤ人に次いで世界で2番目に分散している」という。アルメニア人はとても親切で、日本に帰国するとき、ロス空港
表示まで見送りにきてくれた。
アパートの隣はエンジニアの韓国人
表示で、骨付きカルビの調理法や、水キムチの作り方を教えてもらった。高校や大学の同級生がグレンデール市の家に来たときは、韓国風骨付きカルビの焼肉をご馳走した。
米国グレンデール市では、世界各国の料理を楽しむことができた。写真
表示は、30年前の"トーマス・ジェファーソン小学校"だ。当時のグレンデール市は、人種・民族・宗教を超越した素晴らしい街だった。