奈良若草山の紅葉と戦前の日本
2013年11月17日、91歳の母が「紅葉が見たい」というので、奈良若草山へ紅葉を観に行った。
午前11時40分、ランチを食べに奈良ホテルに行った。玄関からメインダイニング「三笠」への途中には、皇室の方々の写真が飾られてあった。三笠の130席はほぼ満席で、入り口付近に1か所だけテーブルが空いていた。伝統のフランス料理を注文した。米粉のパンが美味しい。三笠の天井は高く、名画や調度品が設えられ荘厳な感じがする。
母は昔のことをよく覚えており、「東京本郷にある東洋女子歯科医専時代、ここと同じようなレストランで、フランス料理を食べたことがある。寄宿舎の寮は4人部屋で、同室に留学中の中国人の双子と山口県出身の人がいた。中国人の双子はお金持ちで、留学から帰るとき、ロシア人の先輩や私たちにコース料理を奢ってくれた。
昭和14年に入学したときには、中国・朝鮮・ロシアなどからの留学生が大勢いた。戦争が始まり、留学生も少なくなり、昭和18年に卒業した時には、同級生が150人から100人に減っていた」と言う。
戦前の日本は、日本人だけで暗い生活を送っているイメージがあったが、東京の街には重厚華麗なレストランやフランス料理もあったのだ。中国・朝鮮・ロシアなど東洋の留学生が大勢集まり、日本人学生と一緒に生活していたことに驚いた。
1か月前、友人は「日ロ首脳会談で、日本とロシアとの関係がよくなっている。日本の岩盤は弱く、日本には青森をはじめ核廃棄物最終処分場に適した場所がない。ロシアのツンドラ地帯には、岩盤の強い広大な土地があるので、核廃棄物を埋めることができる。シベリアに新幹線を作るなどして、ロシアに核最終処分場を頼めばいい」と言っていた。
原発ゼロ、原発再稼働、どちらになっても核の最終処分場が必要だ。核の最終処分場の問題は、ロシアやモンゴルなど東洋全体で考えるとよいかもしれない。
午後2時、新若草山ドライブウェイに向かった。東大寺横の大仏池周囲の紅葉は真紅になっており、たくさんの人が写真を撮っていた。若草山駐車場から山頂までの道は、苔むした緑の木々に囲まれ、ひんやりとした空気を吸い込むと、すがすがしい気持ちになる。
若草山の頂上は芝生となっており、眩しい陽射しの中で、子供たちが鹿と遊んでいた。眼下には奈良の街並みの中に興福寺の五重塔が見え、正面に生駒山、その左に信貴山、葛城山、金剛山が並び、五條市へとつづいている。
若草山はこんもりとした緑の中に、ところどころ赤や黄色の紅葉があり、とてもきれいだった。東洋の中でも、日本の自然は四季があり美しい。高齢者は健康のためにも、歩ける間に紅葉を観に行くとよい。