結婚記念日とニュートン・鞆の浦慕情
2014年1月16日、37年目の結婚記念日を迎えた。お祖父ちゃん、お祖母ちゃんになって初めての結婚記念日だ。結婚記念品は、ミロのリトグラフ「メロディー
表示」と「熊野化粧筆」にした。
午後6時、大阪市北区にあるクラブ関西で、異業種の会があった。会の始めに幹事の方が、ニュートン2014年2月号を手に持って、「本屋でニュートンを買うと肥満の特集があり、会員の徳永先生の名前が最初に書かれていました。これからニュートンを回覧します。徳永先生、一言お願いします」と急にふられドキッとした。
「ニュートンは28万部発行されている科学雑誌です。"肥満のサイエンス"という特集が44ページ載っています。ニュートンはきれいな写真
表示や図が多く、わかりやすく書いてあるので、興味のある方は読んで下さい」と紹介した。
懇親会で、同じテーブルの観光業の方が、「AKB48の"鞆の浦慕情(秋元康作詞)"が、オリコン週間1位になった。鞆の浦はいい所ですよ」と言われる。「鞆の浦は景色も食事もよかった」と、多くの人が鞆の浦に宿泊されていた。私は、「鞆の浦の仙酔島へは子どもの頃、毎年のように海水浴に行っていた」と話した。
鞆の浦は私にとって、とても懐かしい所だ。小・中学校時代の夏休み、父母姉と家族4人で鞆の仙酔島に海水浴に行っていた。JR備後庄原駅から芸備線・福塩線で福山駅まで3時間、そこからバスで鞆の浦に行き、船で仙酔島に渡り、国民宿舎に宿泊して海水浴
表示をした。山間部で育った私にとって、海は憧れだった。
妻との最初のデートも、鞆の浦だった。1976年8月15~18日夏休みをとり、同級生の故池添潤平愛媛大学放射線科教授(メタボ教室第19段「内臓脂肪型肥満の発見」)と、能登半島旅行に行く予定だった。池添君が急に都合ができ、ぽっかり4日間が空いた。帰省すると、府中市の伯母さんからお見合いを勧められた。
1976年8月17日午前8時、実家の庄原を車で出発。府中市の出雲大社支所で、神主夫妻、伯母さん、妻と両親の7人でお見合いをした。神主さんに「どこか2人でドライブでも」と言われ、鞆の浦観光に行った。
1977年1月16日、新阪急ホテルで結婚式を挙げた。そして、池添君も私と同じ新阪急ホテルで結婚式を挙げた。阪大放射線科に同級生がいなかったら、CTスキャンによる脂肪組織の分析(Int J Obes 1983
表示)はできなかったかもしれない。
もしあの時の出会いがなく、結婚していなかったら、今の子どもや孫は生まれていない。ちょっとした偶然で、その後の人生は大きく変わる。偶然の出会いを大切にし、一度限りの人生を充実したものにしたい。