母の日プレゼントと「乗ってみんしゃい芸備線」
2014年5月11日第2日曜日、今日は母の日。
娘夫妻からは胡蝶蘭の花
表示が、息子からはカーネーションが、妻に贈られた。私の母には、薔薇のプリザーブドフラワー
表示を贈った。
メタボ教室第504段「戦前の日本」を読んだ東洋女子歯科医専同窓会から、「ひょっとして、お母さんでは」と連絡があり、昭和60年(1985年)発行の「記念誌」が送られてきた。母は「昭和14年(1939年)入学時150名で、卒業時100名だった」と言っていたが、昭和60年現在の昭和18年卒は93名(日本86名、中華人民共和国3名、中華民国2名、タイ2名)となっていた。
92歳の母は「同級生で、現役歯科医は私一人になった。学生のころ戦争が始まり、銀座の灯が消えて、留学生が帰国していった。タイの2人は王族で仲が良く、いつも一緒にいた。ドイツ語と英語の試験があり、大変だった」と言う。戦前は、ドイツ語と英語が必須だったのだ。
テレビでは、4月16日の韓国大型旅客船「セウォル号」転覆事故について、「過剰積載が事故の大きな原因だった。安山市の壇園高校2年生徒325名、引率教員14名を含む476名の乗船者のうち、生存者は172名で、死者は275名、行方不明は29名となった」と伝えている。
武田祐三著「芸備線ー中国山地の沿線物語」(シンセイアート2014)を読みかえした。武田祐三先生は、高校時代の日本史の恩師で、庄原市内の芸備線14駅(東城 表示・八幡・内名・小奴可・道後山 表示・落合・比婆山・西城・平子・高・庄原 表示・三日市・七塚・山ノ内)ごとに沿線の歴史・文化などの物語が綴られている。
第1章の備後東城駅では、父からよく聞いていた「帝釈峡神龍湖の遊覧船転覆事故」のことが書かれていた。父は戦前、東城小奴可尋常小学校の教師をしていた。昭和9年東城粟田尋常小学校の生徒42名が卒業記念旅行で神龍湖
表示を訪れ、遊覧船に乗ったが、定員オーバーのためか浸水し転覆している。
引率していた横山常夫教師と田辺キサヨ教師は、子ども達を岸に上げ救助したが、力尽きて12名の生徒とともに水死した。田辺教師は、岸にたどり着いていた我が子を引き戻し、いっしょに沈んでいる。戦前の教師像がうかがえる。
午前のニュースでは、「2040年の20~30歳代の女性人口が半分以下に減る"消滅可能都市"は896市町村に上がった」と報じていた。庄原市も入っている。
5月3日の庄原格致高校同期会で、クラスメートは「庄原の人口は4万3000人だったが、3万8000人に減少し、今も毎年800人以上減少している。老人が減ると、若い人の職も減り、30年後の庄原市の人口は、1万人ちょっとになる」と言っていた。国の支援と、農業改革が必要だ。
庄原駅には、様々な思い出がある。大阪に行くときには、母が見送っていた。「乗ってみんしゃい芸備線」。庄原市内の芸備線は、西部はのどかな田園風景の中を、東部はサルも見られる秘境を通って行く。