関西本線各駅停車の旅と芭蕉・半蔵ゆかりの里
2014年6月28日、JR西日本関西本線各駅停車の旅に出かけた。
午前9時50分自宅を出発。梅雨の季節で、空は今にも雨が降り出しそうに、どんよりと曇っている。JR大和路線の王子駅(奈良県)を過ぎるあたりから、田植えを終えた水田が広がっていた。
JR奈良駅から先に行くのは初めてだ。平城山(ならやま)駅から、京都府の木津駅に入り、終点の加茂駅に着いた。JR加茂駅からの関西本線は、本線という名前なのに1両編成のワンマンカーで、1時間に1本しか走っていない。笠置、大河原、月ヶ瀬口と木津川に沿って山の中の無人駅を通っていく。山の上にも畑が見える。島ヶ原駅から三重県となった。
JR伊賀上野駅で降りると、小雨がぱらつき始めた。正面に伊賀上野城が見える。伊賀市に来るのは、1987年6月21日"金谷"ですき焼きを食べて以来だ。
芭蕉五庵のうち、唯一現存する「蓑虫庵」に行った。芭蕉がこの庵を訪れた時に詠んだ「みの虫の音を聞にこよ草の庵」に由来する。庭園に入ると、チュチュ、チッチッと小鳥のさえずりが絶えず聞こえ、紫陽花の花が咲いていた。
「芭蕉翁生家」に行った。生家の裏にある釣月軒は、芭蕉が処女句集"貝あほひ"を執筆したところで、六畳の間の中央の机の上にはつづり箱が置いてあった。
伊賀上野城の石垣は苔がむし、道は緑の木々でおおわれていて、深呼吸すると心が洗われた感じになる。伊賀流忍者屋敷は隠れ戸など27年前と同じだが、新しく地下に忍者博物館ができていた。手裏剣投げなど、忍者ショーも新たに加わっていた。忍者は飢餓に耐えられるよう訓練されており、肥満者はいない。
上野公園から、伊賀鉄道上野市駅界隈を散策した。商店街は空地が多く、シャッター通りとなっていた。上野シティホテルにある"上野みやび"で、伊賀牛すきやき御膳"半蔵"を食べた。伊賀牛は松坂牛に似てやわらかい。
友人は「水素エネルギー・メタンハイドレートなどが開発されつつあり、エネルギー危機より食糧危機の方が強まっている。中国は国内需要の増加で自給困難となり、米・小麦・トウモロコシの輸出ができなくなった。優良な農地の工業用地・住宅用地への変換、水不足、食生活の変化による需要増のためだ」と言う。
中国の三大穀物(米・小麦・トウモロコシ)輸出は2002年1376トンで、世界でも有力な穀物輸出国だったが、2012年の輸入量は米207トン・小麦369トン・トウモロコシ515トン、大豆も5672トンと膨れ上がっている。わずか10年で、中国の食糧事情は輸出国から輸入国へ激変している。
松尾芭蕉・服部半蔵ゆかりの里は、米・酒・伊賀牛の産地だった。数十年後、外国から食糧を買えない時代が来るかもしれない。若者が農業に魅力を感じるような施策を実行する必要がある。