京都鴨川納涼床と哲学の道・法然院
2014年9月28日、京都市左京区にある「哲学の道」へ行った。
午前9時50分自宅を出発、中国道・名神高速を通り、京都二条通りに駐車して近くを散策した。
高瀬川に面して、佐久間象山と大村益次郎の遭難碑
表示が並んで建っていた。大村益次郎は1824年長州の医師の長男として生まれ、1846年大阪大学医学部の前身・適塾(緒方洪庵)に入り、1849年から適塾の塾頭をしていた。医師であり兵法学者でもある大村益次郎は、1869年9月4日木屋町通りで刺客に襲われ、11月5日大阪の病院で亡くなっている。
午前11時30分、木屋町通りに面した京料理「豆屋源蔵」に行った。豆屋源蔵は大正末期に建てられた町屋建築で、大佛次郎、井上靖など多くの文人や画家の山下清が来歴している。表口から長い道を通って玄関に行き、細い廊下を進んでいくと鴨川納涼床があった。鴨川の対岸の川端通りを車が行きかい、その向こうに東山、遠くに比叡の山並みが見える。
川床席で、「木屋町御膳」を食べた。先付けは汲み上げ湯葉、小鉢は作り立て豆腐、一の重には季節の魚の造り・ゴマ豆腐・京野菜、二の重には季節の魚西京漬け・豆腐田楽・木綿豆腐と大根の煮物があった。青空に、薄くて小さな白い雲が、東から西にゆっくりと動いていく。風が強く、27.5℃でも涼しい。
午後1時、銀閣寺前に駐車し、琵琶湖疏水に沿った歩道「哲学の道」を歩いた。明治時代、西田幾太郎など多くの哲学者が住み、歩きながら考えていた道だ。
「葉桜やドイツ語話す庵主さま」、北野高校出身の友人が詠んだ句が今年、サンデー毎日の俳句王・秀作「天」に選ばれ、哲学の道に来ることにした。「学生時代、哲学の道を歩いていて、ドイツ人を案内していた妙齢の尼さんとすれ違った。尼さんが「Helzlich Wilkomen!」とドイツ語を知っていたことに驚き、40年以上前のことを俳句にした」という。
私が哲学の道を最初に歩いたのも、1968年大学教養部の頃で、北野高校出身のクラスメートに誘われて歩いた。春の桜、秋の紅葉の季節に、永観堂から銀閣寺まで歩いたことがある。
哲学の道から脇道にそれ、坂道を昇ると法然院があった。茅葺で数寄屋造りの苔むした山門がいい。欧米人はいたが、お坊さんは見かけなかった。案内板に「谷崎潤一郎、川上肇、九鬼周造など著名な学者や文人の墓がある」と書いてあった。澤瀉久敬(おもだかひさゆき)大阪大学教授は九鬼周造(くきしゅうぞう)の弟子で、医学概論の授業では、澤瀉先生の「医学の哲学」を教科書として使っていた。
家にじっとして寝転がっているとHDL(善玉)コレステロールは下がるが、外に出て歩くと上昇する
表示(IJO1982
表示)。休日は、京都や奈良などに出かけて散策すると、思わぬ新しい発見ができ、健康にもよい。