西宮の食・美術館と東洋学園大学
2014年10月12日、兵庫県西宮市にある懐石料理「立峰」に行った。
午後0時、自宅を出発。JR西宮駅近くにある立峰(りっぽう)に行き、「点心弁当」を食べた。八寸は鮭、銀杏、毬栗揚げや柿の形をしたもの(実が卵黄・葉が麩・枝がゴボウ)があった。弁当
表示は3つに仕切られ、16種類の具材が入った手が込んだものだった。外資系ホテルの社長をしていた友人お勧めの店だけあって、どの料理も見た目がよく、味がいい。
立峰は、2005年閉店した播半の総料理長が営んでいる店だ。老舗料亭「播半」は西宮甲陽園にあった広さ1万坪の料亭で、昭和天皇が宿泊された離れの部屋で、大学のクラスメートと懐石料理を食べたことがある。吉永小百合と野坂昭如が対談したのも同じ部屋で、吉永小百合は真冬にもかかわらず汗で化粧が崩れないよう、暖房なしで対談されたという。
ビル裏の立峰駐車場の前には、臨済宗海清寺があった。境内には樹齢600年、高さ20m、幹周611㎝の大きなクスノキがあり、細い幹のザクロの木には、実がたくさん垂れ下がっていた。
午後2時、サンケイ新聞に載っていた西宮市甲山町にある「大鶴美術館」に行った。甲山の墓地や北山ダム周辺の木は、一部紅葉していた。大鶴美術館の外観
表示は、六甲山の風をイメージした青と緑のタイル張りの4階建てで、500点の美術品が展示されている。
1階には象牙でできた日本一大きな七福神宝船や、象牙彫刻の姫路城、法隆寺、日本丸、鶴があり、4階には180㎝、31㎏の象牙やマンモスの牙が置かれていた。3階には景徳鎮の壺があった。伊丹市長からいただき大切にしていた景徳鎮の壺は、阪神大震災で壊れてしまった。
2階には「独立自尊」と書いた福沢諭吉の額や、森鴎外、東郷平八郎、伊藤博文、山形有朋、勝海舟、徳川慶喜、西郷隆盛、大久保利通の直筆の掛け軸があった。江戸中期から江戸末期にかけて蘭方医が使用していたメス・ハサミなど手術器具が展示されていた。
明治期に使用された歯科医療器具も、2階に展示されていた。母
表示は、昭和14年
表示から18年
表示まで、東京本郷にある東洋女子歯科医学専門学校に行っていた(写真
表示右、上はロシア人、左は山口県人、下は満州の中国人)。学校は昭和18年空襲で焼失し、18年卒が、最後の卒業生となった。戦後、東洋女子歯科医専は文科系となり、東洋学園大学になっている。
昭和30年代の学長・愛知揆一氏は東洋女子歯科医専理事長だった宇田尚(ひさし)の娘婿で、外相時代に沖縄返還を実現されている。今月、10月19日午後9時からのNHKスペシャル「カラーでよみがえる東京~不死鳥都市の100年」に、学徒出陣を見送る東洋女子歯科医専の報國團が出るという。写真
表示は昭和16年10月6日、報國團結成式のものだ。
戦争は多くのものを破壊し、人々を不幸におとしいれた。平和な日本に生まれ、育ったことに感謝したい。休日は、日本独自の料理を食べ、日本の四季を感じ、日本のよさを存分に堪能するとよい。