映画「トイレのピエタ」と人間の死に方
2015年6月15日、映画「トイレのピエタ」を観に行った。
午後5時45分、手塚治虫原案の映画のためか、館内は中高年が多く若者はいない。主演はロックバンド・RADWIMPSで作詞・作曲・ボーカルをしている野田洋次郎、脇をリリー・フランキー、大竹しのぶ、宮沢りえが固める。
ピエタとは、死んだ十字架から降ろされたキリストを抱く聖母マリアの彫刻や絵を指す。美大を卒業し、フリーターをしていた青年が、突然倒れ、医師から余命3ヶ月の末期癌と告げられる。死の恐怖の中で青年は、どうやって生きる喜びを見出し、どんな死に方をするのか?
手塚治虫は阪大医学部の23年先輩で、晩年、胃がんで入院するが、意識がなくなるまで日記を書きつづけた。日記の最後のページには「今日はすばらしいアイデアを思いついた!トイレのピエタというのはどうだろう。癌の宣告を受けた患者が、何一つやれないまま死んで行くのはばかげていると、入院室のトイレに天井画を描き出す。・・」とある。
手塚治虫は亡くなる3年前、イタリア旅行でミケランジェロの彫刻「ピエタ」と、ミケランジェロが寝ころびながら描いた「天井画」を観ている。
6月21日、大阪府堺市にある織田信長・徳川家康ゆかりの寺「妙国寺」に行った。午後0時、29.5℃と灼熱の陽射しで暑い。小さな松と、ソテツの木があった。「本能寺の変」の日、徳川家康はこの寺に宿泊していた。「堺事件」では、この寺の境内で、土佐藩士11名が切腹している。
1868年、フランス軍艦から上陸した水兵100名の傍若無人の振る舞いに、堺を警備していた土佐藩士と銃撃戦となり、フランス兵10数名が死傷。土佐藩士20名が切腹することになった。
久坂部羊著「人間の死に方―医者だった父の多くを望まない最後」(幻冬舎新書2014年9月発行)には、「自らの正当性を信じる藩士たちは、切腹の無念を晴らすため、腹を切ったあと自分の腸を引きずり出し、ある者はフランス軍艦長に投げつけた。軍艦長はその壮絶な光景に耐え兼ね、11人が切腹したところで、処刑の中止を命じ、そそくさと引き上げた」と書いてある。
作家・久坂部羊(くさかべよう)は、阪大医学部の7年後輩で、廃用身・破裂・悪医などの作品がある。私も父・甲元久人から付けた「甲元久太郎」のペンネームで、高校1年(1966年)の時、文芸誌"砂鉄"に随筆「死想期
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表示」を書いた。
久坂部羊のお父さんも、手塚治虫も、奈良医大で博士号を取っている。奈良医大出身の後輩医師は、「手塚治虫が奈良医大に時々来て、講演をしていた」と言う。
友人は「好きなものを食べ、行ってみたいところへは杖を使ってでも行き、下の世話にならず、100歳になったら野外の緑の中でポックリ死にたい」と話す。
人間の死に方は、さまざまだ。死ぬ直前までピエタの絵を描く者、日記を書きつづける者、最後まで怨念を抱いて死ぬ者、自然に帰ると達観する者、平穏死を望む者。死は、答えのない永遠のテーマだ。