「第44回日本総合健診医学会」とフィリピンの歴史
2016年1月29~30日、東京都新宿区にある京王プラザホテルで「第44回日本総合健診医学会」が開催され、1200名が参加した。
1月28日、午後5時50分新大阪発"のぞみ248号"8号車10D席で、東京に向かった。座席の背の物入れに、月刊誌WEDGEが入っていた。WEDGEの取材を受け、肥満の記事
表示が載ったことがある。電光掲示板に「甘利明大臣辞任」のニュースが流れる。
先週1月21日の異業種の会(メタボ教室第585段「食の安全」)で、全国紙OBが「甘利大臣は、はめられた。TPP反対勢力に狙われていることがわかっているのに、脇が甘い。1週間以内に辞任した方がいい」と言われていたが、丁度1週間と予想が的中した。末は博士か大臣か?大臣になると大変だ。
京王プラザホテル2633号室に宿泊した。窓の正面に東京都庁
表示が見える。テレビのニュースでは「フィリピン公式訪問中の天皇、皇后両陛下は、父が元日本兵、母がフィリピン人の日系2世86人と懇談された。日系2世の多くが、戦後反日感情の強い中で、苦しく辛い生活を強いられた」と伝えていた。
1月29日、午後6時20分から懇親会があり、104歳になられる日野原重明名誉理事長も車椅子で出席された。最初に、ソプラノ歌手・下垣真希氏によるコンサート
表示があった。下垣氏の親族が入院した時、日野原先生が主治医をされたという。
下垣氏はドイツのケルン国立音楽大学に留学され、2000年ドイツ万博閉幕式ではアジア代表として1万5000人の前で独唱されている。「長崎の鐘」や「ああモンテンルパの夜は更けて」など6曲歌われた。
モンテンルパは、マニラ郊外にある刑務所で、戦後、日本のBC級戦犯が収容され処刑された。作詞・代田銀太郎、作曲・伊藤正康の2人とも、死刑判決を受けていた死刑囚だった。
下垣真希氏は、この曲を歌われる前、「これは望郷の曲で、キリノ大統領はこの歌を聴き、涙を流された。キリノ大統領の奥さんと子供さんは、日本軍の戦闘により亡くなられたが、死刑判決を受けた日本兵など戦犯105人に恩赦を与えられた。命を救った歌だ」と紹介された。
以前、マニラに行った時、観光タクシーに乗り、サンチャゴ要塞に行った。パシグ川沿いの大きく深いプールのような地下牢に案内され、中年の女性ガイドさんに、「ここで600人の米国人とフィリピン人の捕虜が、山下奉文(ともゆき)によって餓死・溺死した」と話された。「山下の名前を知らない」と言うと、「日本人なのに、山下奉文の名も知らないのか!」と急に怒りだされた。
太平洋戦争では、マニラで米兵1000人、日本兵1万1000人、マニラ市民10万人が亡くなっている。やった方は忘れるが、やられた方はいつまでも覚えている。フィリピンの若い人に聞くと「中高年の中には反日の人がいるが、若い人にはほとんどいない」と言われ、安心した。
太平洋戦争では、フィリピンで日本の軍人だけでなく、それ以上にフィリピン市民が戦闘に巻き込まれ亡くなっている。日本の歴史教育は、昭和になってからの出来事を、もっと詳しく教えるべきだ。