播州赤穂の食と熊本大地震
2016年4月16~17日、兵庫県赤穂市へ1泊2日旅行に行った。
午後2時10分自宅を出発、中国縦貫道から山陽道に入ると、自衛隊伊丹の救援車両が数10台、九州方面に向かっていた。三木サービスエリアでは、オレンジ色の制服を着た警視庁のレスキュー隊員が大勢いた。4月14日から地震が頻発している熊本へ行くのだろう。
午後4時、赤穂インターを降り、赤穂御崎にある伊和都比売神社
表示に行った。赤穂に来るのは2度目だ。1982年7月24日、阪大2内循環器脂質研の日生(ひなせ)1泊旅行に来て、子供たち11人を相手に西城秀樹のYMCAを踊った。翌日25日は、家族4人で赤穂城跡と赤穂御崎を散策した。
海岸沿いにある「ザ グランリゾート赤穂」316号室に宿泊した。窓の外
表示には葉桜、遠くに瀬戸内海の島々が見える。
午後6時、窓の外に押し寄せてくる荒波を眺めながら「卯月のおすすめ会席」を食べた。食前酒の晩茶ワインが珍しくて美味しい。前菜
表示はホタルイカみぞれかけ・プチトマト田楽・青豆道明寺射込みなど、椀物は白玉饅頭、料理長おすすめ造里盛り合わせは"ガシラ姿造里
表示"だった。小鍋は赤穂産浅利・豚肉・鯛切身が入った"浅利トマト鍋"で、焼物は和牛の陶板焼、ご飯は地元の"赤穂米にこまる"が使われていた。
4月17日午前10時、JR播州赤穂駅近くにある「花岳寺」を見学し「大石神社
表示」に行くと、左右に赤穂浪士47体の大理石像が立っていた。
土産に塩味饅頭と牡蠣佃煮を買い、帰宅するとテレビで「熊本大地震のデマが飛びまわっているので惑わされないよう」呼びかけていた。1995年1月17日の阪神大震災(メタボ教室第144段「阪神大震災」)の日も、市立伊丹病院では「宝塚市民病院が崩壊した」などのデマが飛びかっていた。
テレビで「熊本市民病院が倒壊のおそれがあり、入院患者を他の病院に移している」と伝えている。阪神大震災4日後の1月21日(土)、1人で市立伊丹病院の内科の日・当直をした時、「伊丹市内の病院が倒壊のおそれがあり、50名を引き受けてくれ」と頼まれ3人入院させた。西宮市民病院は震災で機能せず、西宮市からも救急患者が搬送されてきた。その日私は、1人で180名の内科入院患者を診ながら、救急外来患者8人を入院させた。長い一日だった。震災時には、中心部より近隣病院の方が忙しくなることもある。
2011年3月11日東日本大震災の1週後、「朝まで生テレビ」で"福島第一原発から半径5kmを避難地域とすればよいのか、10kmか20kmか"と、一生懸命延々と議論していた。私は汚染地域が北西に広がっていると聞いていたが、司会の田原総一郎も都副知事も国会議員もコメンテーターも全く知っていなかった。堀江貴文だけが「風向きによって違うのではないか」と発言したが、無視されていた。新聞は、国民がパニックになるのを怖れて、書けなかったのだろう。東京都行政のNo2が知らないのは、問題だと思った。
メディアでは、真実を伏せていることも多い。信頼できる友人からの情報は、メディアでは報道できない真実が含まれている。震災時には、どこまでが真実で、どこからがデマか見分ける力が必要だ。