オバマ大統領ヒロシマ訪問と原爆資料館・折鶴

2016年6月 2日

    201661日、67歳の誕生日を迎えた。朝、東京に住む娘から「誕生日プレゼントを送りました」とラインが入っていた。息子からは芋焼酎「悠久の道」をもらった。

メタボリック教室も200661日に開始して、ちょうど10年経ち、602段となった。書いてみると、宗教・政治・人権などタブーが多いことに気付く。書いたことの3割ぐらいはボツになる。新聞やテレビなど広告料で収入を得ているメディアはもっと制約され、4割ぐらいはボツになっているだろう。

 

52627G7伊勢志摩サミットがあった。会場のあった賢島にある志摩観光ホテル 表示は、結婚した1977年夏に宿泊した。賢島には1985年、当時世界一の肥満学者だったビヨーントルプ教授夫妻 表示(スウェーデン)と行き、宿泊したこともある。

7か国首脳が参拝した伊勢神宮は、昭和39年(1964年)中学3年の時に修学旅行で初めて行った。伊勢神宮 表示には家族旅行・医局旅行・異業種旅行などで何度か行った。

527日、オバマ大統領が米国大統領として、原爆投下71年目に初めてヒロシマを訪問された。オバマ大統領の広島訪問は、数年前から計画され、広島選出の岸田文雄外務大臣、ケネディ大使と交流のあった広島ゆかりの外務省米国日本大使館員、民間人として唯一オバマ大統領から表彰された広島県庄原市出身のS新聞取締役、など多くの人達の尽力で実現した。

オバマ大統領は、原爆資料館を視察されていた。私が初めて原爆資料館に行ったのは、昭和35年、庄原小学校5年生の時で、NHK合唱コンクール広島県北部大会で優勝し、県大会で3位になった。課題曲は「世界の希望」で、"僕の好きなのは緑 君の好きなのも緑 緑はみんなの希望・・緑は平和のしるし"の歌詞だった。

合唱コンクールの後、音楽の先生とみんなで平和記念公園に行った。展示を見て、父 表示が言っていた通り(メタボ教室第71段「はだしのゲン」)、"原爆は悲惨だ"ということがよくわかった。

2度目は昭和36年小学6年生の時で、修学旅行で尾道・宮島・岩国 表示・原爆資料館・原爆死没者慰霊碑 表示を見学した。オバマ大統領は、岩国から広島入りされている。その後、何回も原爆資料館 表示、原爆ドーム 表示を訪れた。

今年4月、新聞社大阪支社長と2時間、フランス料理を食べながら話をした。支社長は「オバマ大統領が広島に行くことになったら、岩国からオスプレイで広島入りするだろう。オスプレイだと宣伝ととる人もいるので、別な手段になるかもしれない」と言われていたが、ヘリコプターで広島入りされた。

オバマ大統領は、折鶴を4羽折られていた。英文「CTスキャンによる脂肪組織測定法」が出た時、世界各国の肥満研究者から多くの別刷要求があった。妻と子供 表示が和柄の折り紙で折った"折鶴"を、別刷 表示と一緒に送った。

オバマ大統領と被爆者が抱き合うシーンは感動的で、長く歴史教科書に残るだろう。戦争のない、平和な時代を過ごした私たちは幸せだったと思う。67歳の誕生日を迎え、理想を心に満たして生きていきたい。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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